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2005年04月08日

やまとうた(8)−しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ

 やまとうた(8)−しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ

 本居宣長 六十一歳自画自賛像(本居宣長記念館蔵)

 (旧暦  2月30日)

 虚子忌、椿寿忌  俳人・小説家の高濱虚子の昭和34年(1959)の忌日。椿を愛し、法名を虚子庵高吟椿寿居士ということから、椿寿忌とも呼ばれる。

 これは宣長六十一寛政の二とせといふ年の秋八月に手つからうつしたるおのかゝたなり
 筆のついてに
 しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ 朝日ににほふ山さくら花

 帝都東京の桜も満開となり、都内の桜の名所は多くの人々でにぎわっていますが、桜の花ほど古来日本人に愛された花もないでしょう。
 しかしもともとは、中国から渡来した梅の方が重んじられていたようです。

 奈良時代は中国文化を第一とする風潮であったため、中国で重んじられている梅が尊重されたようですが、平安時代中期に鑑賞する花としての桜の美しさが認められ、地位が向上してきました。

 以来、桜は様々な歌に読み込まれてきましたが、本居宣長のこの歌ほど、先の大戦で戦争に利用された歌はないでしょう。
 本居宣長は、享保15年5月7日(1730)、伊勢国松坂の商家である小津家に生まれました。
 この小津家は、映画「東京物語」、「晩春」、「麦秋」、「秋刀魚の味」等で有名な映画監督小津安二郎(1903〜1963)の家系であるようです。

 宣長本人が描いた重要文化財「本居宣長四十四歳自画自賛像」の画賛には、

 「めつらしきこまもろこしの花よりもあかぬいろ香は桜なりけり、こは宣長四十四のとしの春みつから此かたを物すとてかゝみに見えぬ心の影をもうつせるうたそ」

 とあります。
 
 「外国から渡来した珍しい花も多いが、やはり桜は見飽きることがないなあ、これは宣長が44の年の春、自画像を描こうと思い立ち、鏡に映らない心の影(姿)を詠んだ歌である」との意味です。

 宣長はその著『玉勝間』で、「漢意(からごころ)とは、漢国(からくに)のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非を論ひ、物の理(ことわり)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也」。

 つまり、「多くの日本人は中国のことを引き合いに出しては、それをものごとを考える基準にしている」とのべています。

 彼にとって、そのような思考の基準を「からごころ」といい、宣長が生涯を通して迫ろうとしたものは「いにしへごころ(古意)」というものだったようです。
 『「日本とは何か」という役にも立たないことだけを考えた』と、松岡正剛氏も述べています。

 さて冒頭の歌は、同じく宣長本人が描いた重要文化財「本居宣長六十一歳自画自賛像」の画賛です。

 このように訳すことができるようです。
 「おまえは一言でいうとどういう人間なのかと問われたら、朝日に照り輝く桜、その自然で素直な美しさのように、私も素直に生きていくのが信条であると答えよう。そのような生き方こそが『やまとこゝろ』ではないか」と。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 13:58│Comments(0)やまとうた
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