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2005年02月28日

日本(11)-2.26事件(5)- 兵に告ぐ(1)

 日本(11)-2.26事件(5)- 兵に告ぐ(1)

 蹶起直後の半蔵門

 (旧暦  1月20日)

 利休忌 茶人千利休の天正19年(1591)の忌日

 皇軍相撃つ流血の事態は何とか避けたいと、様々なルートから蹶起将校達に対する説得が試みられ、帰順論に体勢が傾いていた中、もともと武力蹶起には反対の穏健派の1人であった歩兵第3聯隊第6中隊長安藤輝三大尉は、帰順に対し最も強硬に反対し、首謀者の1人である磯部とともに「徹底抗戦」を叫び、自決・帰順を覆して蹶起将校たちの士気を決戦へと鼓舞しました。

 当初、「将校は自決し、大命に従い下士官兵は陛下に返上する」との報告を受け安堵に包まれていた戒厳司令部は、一転万事休すとなり、ついに蹶起将校たちに同情的だった香椎戒厳司令官も武力鎮圧を決心、28日午後11時、戒厳司令部は正式に討伐命令(作戦命令)を下達しました。

 戒作命第十四號
  命 令
 叛乱部隊ハ遂ニ大命ニ服セズ、依テ断乎武力ヲ以テ当面ノ治安ヲ恢復セントス
  戒厳司令官  香椎 浩平


 日本(11)-2.26事件(5)- 兵に告ぐ(1)

 芝浦埠頭に上陸する横須賀海軍陸戦隊(2月26日)
 しかし、叛乱部隊となった下士官兵には状況を知る術も無く、事態を憂慮した戒厳司令部所属の陸軍省新聞班の大久保弘一少佐は、叛乱部隊に対する降伏勧告文の配布を思いつき、上層部の許可を得て3万枚を印刷、翌29日午前8時立川の飛行場を飛び立った飛行機により三宅坂上空からビラが撒かれました。

 日本(11)-2.26事件(5)- 兵に告ぐ(1)

 下士官兵ニ告グ
 一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ歸レ
 ニ、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
 三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
  二月二十九日   戒嚴司令部


 ところが、ビラの多くは宮城のお堀の中に落ち、兵士にはほとんど渡らなかったのではないかとの立川飛行隊からの報告と、時を同じくして、蹶起部隊の家族たちが心配して聯隊に押しかけてきているとの情報がもたらされ、戒厳司令部ではラジオによる帰順勧告を放送することになり、あの有名な「兵に告ぐ」という放送が、戒厳司令部内に設けられていた放送室から中村茂アナウンサーにより放送されました。

 以下つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 07:30│Comments(0)歴史/日本
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