2005年02月27日
日本(10)-2.26事件(4)-奉勅命令下達
軍事参議官、陸軍大将、男爵 荒木貞夫
(旧暦 1月19日)
宮中に参集した軍事参議官たちは、川島陸相より今朝来の事態についての報告を聴取してから対策を協議しましたが、荒木貞夫陸軍大将の発言により、武力行使を避けて説得によって撤退せしめようという方向で一致し、「陸軍大臣告示」を作成して蹶起将校達を説得することになりました。
そして蹶起した将校たち(皇道派)に理解があると思われている山下奉文少将(後のシンガポール攻略の第25軍司令官)が陸相官邸に行き、作成した「陸軍大臣ヨリ」の原案を一部修正し、蹶起将校達に繰り返し読み上げました。
ところがこの告示の第二項は、「諸子ノ《行動》ハ國体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」となっており、この「陸軍大臣告示」によれば、叛乱軍の《行動》を認めたことになってしまい、蹶起は国を憂える行為として認められ、それは天皇の耳にも達していると受け取れる内容でした。
その後、午後3時には、東京警備司令部から「軍隊ニ対スル告示」が示達されましたが、その第二項には、「本朝来出動シアル所隊ハ戦時警備部隊ノ一部トシテ新ニ出動スル部隊ト共ニ師管内ノ警備ニ任セシメラルルモノニシテ・・・」とあり、また第1師団司令部の命令「一師戦警第一号」他も、「蹶起部隊は他の警備部隊とともに市内の治安に任ずべし」といった内容のものが下令され、蹶起部隊は叛乱軍ではなく官軍となった感がありました。
蹶起将校の大部分が、「情勢は自分達に有利である」と判断していましたが、実際の情勢は彼らの期待とは裏腹に、「断固鎮圧」の方向で進んでいました。
2月27日午前2時40分、枢密院は戒厳令施行を決定し、午前3時50分に東京全市に戒厳令が公布され、そして、戒厳司令官には、東京警備司令官の香椎浩平中将が任命されました。
戒厳司令官 香椎浩平中将
午前8時20分、天皇は奉勅命令(天皇に代わってその意思を伝えること)を裁可しました。もし奉勅命令に従わなければ逆賊ということになりますが、この命令は正式には翌28日午前5時8分に発令されたため、27日中はその効力は発揮されませんでした。
軍事参議官などが蹶起部隊を説得中ということで、戒厳司令官への交付を伸ばしていたためでしたが、戒厳参謀であり参謀本部作戦課長であった石原莞爾大佐は、蹶起将校の立場を代弁していた歩兵第1聯隊附山口一太郎大尉の香椎戒厳司令官への度重なる懇願を退け、奉勅命令交付に踏切りました。
臨變參命第三號
命 令
戒嚴司令官ハ三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲシテ速ニ現姿勢ヲ撤シ各所屬師團長ノ隷下ニ復歸セ シムベシ
昭和十一年二月二十八日
奉勅 參謀總長 載仁親王
戒嚴司令官 香椎浩平殿
このときから戒厳司令部の命令によって麹町地区警備隊に編入されていた蹶起部隊は、一転して叛乱軍となってしまいました。
以下つづく
蹶起将校の大部分が、「情勢は自分達に有利である」と判断していましたが、実際の情勢は彼らの期待とは裏腹に、「断固鎮圧」の方向で進んでいました。
2月27日午前2時40分、枢密院は戒厳令施行を決定し、午前3時50分に東京全市に戒厳令が公布され、そして、戒厳司令官には、東京警備司令官の香椎浩平中将が任命されました。
戒厳司令官 香椎浩平中将
午前8時20分、天皇は奉勅命令(天皇に代わってその意思を伝えること)を裁可しました。もし奉勅命令に従わなければ逆賊ということになりますが、この命令は正式には翌28日午前5時8分に発令されたため、27日中はその効力は発揮されませんでした。
軍事参議官などが蹶起部隊を説得中ということで、戒厳司令官への交付を伸ばしていたためでしたが、戒厳参謀であり参謀本部作戦課長であった石原莞爾大佐は、蹶起将校の立場を代弁していた歩兵第1聯隊附山口一太郎大尉の香椎戒厳司令官への度重なる懇願を退け、奉勅命令交付に踏切りました。
臨變參命第三號
命 令
戒嚴司令官ハ三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲシテ速ニ現姿勢ヲ撤シ各所屬師團長ノ隷下ニ復歸セ シムベシ
昭和十一年二月二十八日
奉勅 參謀總長 載仁親王
戒嚴司令官 香椎浩平殿
このときから戒厳司令部の命令によって麹町地区警備隊に編入されていた蹶起部隊は、一転して叛乱軍となってしまいました。
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日本(40)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(12)
日本(39)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(11)
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