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2005年02月26日

日本(9)-2.26事件(3)-陸軍大臣告示

 日本(9)-2.26事件(3)-陸軍大臣告示

 戒厳司令部(九段下の旧軍人会館)

 (旧暦  1月18日)

 丹生誠忠(にうよしただ)中尉率いる歩兵第1聯隊第11中隊を主力とする約160名は、陸軍の中枢である参謀本部、陸軍省、そして陸相官邸の周囲を包囲・遮断し、外部との連絡を断切った上で陸相官邸に乗込みました。

 午前7時近くになった頃、陸相官邸大広間の会議室において、事件の首謀者である元陸軍一等主計磯辺浅一、元陸軍歩兵大尉村中孝次、陸軍歩兵大尉香田清貞の三人は陸相、小松秘書官と対峙し、香田大尉が『蹶起趣意書』および「大臣への要望事項」を読み上げました。

 その要旨は、「陸軍大臣の断乎たる決意により事態収拾を急速に行うとともに、本事態を昭和維新回転の方向に導き、蹶起の趣旨を陸軍大臣を通じて天聴(天皇が聞くこと)に達せしむる」等具体的な内容を含むものでした。
 蹶起将校達は陸軍大臣の決断を迫りましたが、川島陸相は「勅許を得なければならんことは、自分としてはなんともいえない」等と述べて言質を与えず、いたずらに時間が経過していくばかりでした。
 
 午前9時ごろ、官邸から逃げるようにして宮中に参内した川島陸相は、天皇に拝謁して事態を上奏し、蹶起将校らの要望の趣旨をつい口に出してしまったようですが、天皇からは、「叛乱軍を速やかに鎮圧する方法を講ずるのが先決要件ではないか」との指摘を受け、這々(ほうほう)の態で退下したと高宮太平の「軍国太平記」には記してあります。
 
 天皇はすでに事件の詳細をかなり知っており、朝5時40分頃に甘露寺侍従から事件勃発の奏上を受けたときから、「断固鎮圧」の意思を固めていたとされています。

 その天皇の真意を正確に汲みと取れなかった川島陸相は、午後に宮中で開かれた陸軍大臣召集の非公式軍事参議官会議でも鎮圧方針を明確に提案することができず、後に様ざまな問題を生む「大臣告示」を公布してしまいます。

 陸軍大臣ヨリ    二月二十六日午後三時二十分  東京警備司令部

 一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ 天聴ニ達セラレアリ
 二、諸子ノ行動ハ國体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
 三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
 四、各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合ハセタリ
 五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ待ツ


 以下つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 06:06│Comments(0)歴史/日本
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