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2005年02月15日

となり村名所あんない(11)-千代田村(2)-二重橋と伏見櫓

 となり村名所あんない(11)-千代田村(2)-二重橋と伏見櫓

 皇居二重橋と伏見櫓

(旧暦  1月 7日)

 兼好忌 「徒然草」の作者として 知られる卜部兼好の正平5年(1350)の忌日。

 皇居前広場から皇居正門を経て新宮殿に至る二重橋濠には、二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」(めがね橋)、奥の橋が「正門鉄橋」(二重橋)です。

 「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋(正門鉄橋)を指しています。

 江戸時代には、奥の橋の「西丸下乗橋」が「二重橋」と呼ばれており、木造橋だった江戸時代には堀が深くて、そのままだと橋が架けられなかったため、橋の下段に通行できない橋を作り、それを土台にして上に橋を架け、上下に二つ重なった橋ということで二重橋というのが元々の云われだそうです。
 手前の橋は、明治20年(1887)に石橋に架け替えられ、俗に「めがね橋」ともいわれていました。
 私「嘉穂のフーケモン」なぞは、この橋が二重橋だと思っておりました。

 また奥の橋も、明治21年(1888)に 木橋から鉄橋に架け替えら、現在の鉄橋は、その後昭和39年(1964)に新宮殿の工事に際し架け替えられています。

  これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

 二重橋の奥右手に見えるのが伏見櫓で、皇居で最も美しい櫓と言われており、元和9年(1623)、3代将軍家光(1604〜1651)の将軍宣下の後、廃城となった京都の伏見城の櫓を解体して移築されたと伝えられています。
 
 関東大震災で破損した後、解体復元されました。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:31│Comments(0)となり村名所あんない
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