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2005年02月05日

陶磁器(2)-粉青蓮花式碗(宋代/汝窯)

 陶磁器(2)-粉青蓮花式碗(宋代/汝窯) 

 北宋 汝窯 蓮花型温碗 高10.4cm 口径16.2cm 高台経8.1cm 深さ7.6cm 重量465g 

 (旧暦 12月27日)

 中国の陶磁器の歴史は、古くは周代(B.C1046〜B.C771)や春秋時代(B.C770〜B.C403)までさかのぼることができますが、本格的には後漢(25〜220)の末に、浙江省北部の海岸沿いに位置する寧波(にんぽう)一帯で青磁が焼造されはじめたことが判明し、この方面が戦国時代の越の国にあたるところから越州窯(えっしゅうよう)と称されました。

 その後、宋代(北宋:960〜1127)のころまでには、青磁なら先にあげた南方の浙江省の越州窯、白磁なら北方の河北省の邢州窯(けいしゅうよう)とのブランドが定着していました。

 唐の陸羽(733?〜803)が著した『茶経』の中にも、「邢瓷(けいじ:邢州窯の磁器)は銀に類し、越瓷(えつじ:越州窯の磁器)は玉に類す」とあるように、越州窯の青磁が玉(軟玉:neprite)のような緑色やクリーム色の光沢(千峰の翠色)に例えられる秘色(ひそく)を備えていると褒め称えています。
 陶磁器の製作技術は、当時のハイテクの先端技術を集積させたもので、不純物を含まない素地を練り上げること、秘色(ひそく)の青を発色させる釉薬の調合、1300度にもなる高温の管理など、越州窯は他の追随を許さない技術を持っていました。

 越州窯を経営していた五代十国の呉越という国は北宋に滅ぼされ、しばらくは越州窯から青磁を献上させていましたが、北宋第8代皇帝徽宗(1082〜1135)(在位1100〜1125)の崇寧年間、汝州(河南省宝豊県清涼寺村)に窯を新設することを命じ、朝廷みずから越州窯(越窯)を凌ぐ青磁を焼き始めました。

 こうして始められた汝州窯(汝窯)の青磁の魅力は、『雨後天晴』とよばれる「青」に尽きるといわれています。
 伝説によると、徽宗に皇子が誕生したとき、雨が止んで雲が切れ、澄んだ青空が顔を出しました。
 徽宗はその空を指差して、「あの空の色を再現せよ」と命じたのだとか。その結果、工人たちが苦心惨憺して作り出したのが、汝窯の「青」だと云われています。

 粉青蓮花式碗(ふんせいれんかしきわん)は、汝窯の中でも最も優れたもののひとつですが、色の秘密は、釉薬に配合された瑪瑙(めのう)の粉末にあるといわれています。

 汝窯のほかに、定窯、官窯、哥窯(かよう)、鈞窯(きんよう)を宋の五名窯というそうですが、汝窯の青磁は、神秘的ともいえる青の深さとともに、飾り気のないシンプルな形に特徴があり、装飾や文様はほとんどありません。薄茶色の素地が、釉薬の薄い口縁あたりに透けて見えて、美しくやわらかい線を作っています。

 汝窯の青磁は、朝廷直営の窯だったので、1点1点の記録が残されており、現存するものは、台北故宮博物院に23点、北京故宮博物院に4点、上海博物館に1点、イギリスの民間人のコレクションに4点、日本に3点の計35点しかないことになっていますが、日本各地の美術館の多くが「汝窯の青磁」を所蔵しており、その数を合計するとはるかに超えてしまうという摩訶不思議な事情があるようです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:25│Comments(0)陶磁器
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