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2005年01月23日

北東アジア(5)-故宮博物院(1)

 

 北京紫禁城

 (旧暦 12月14日)

 羅山忌
 
 北京紫禁城の清朝財産管理にまつわる長い物語は、平成13年(2001)3月に亡くなった作家で戦史研究家の児島襄氏(1927〜2001)の作品『日中戦争』に詳しく書かれていますが、民国13年(1924)12月24日、乾清宮の最初に目につく脚踏台を「天第一号、二層木踏とう」と記録して、紫禁城内の文物登録が開始されました。

 民国14年(1925)に出版された「弁理清室善後委員会点検レポート」によれば、当時の文物は総数117万件を超え、三代鼎彝(ていい)、古代玉器、唐・宋・元・明代の書と絵画、宋・元代の陶磁器、七宝、漆器、金銀器、木竹牙角匏彫(ほうちょう)、金・銅製の仏像、織物、装身具、家具などが含まれ、天下の珍宝が集まっていました。
 北京の紫禁城は、明朝第3代皇帝・成祖永楽帝の永楽4年(1406)に建築が始められ、永楽18年(1420)に完成しました。東西753m、南北961m、高さ10数mの城壁に囲まれ、その外側には幅52mの護城河(濛)がめぐらされています。

 面積は72万平方mで、建築面積は約15万平方m、そのなかに柱間にして9,000余の建物が存在しています。その多くは木造建築で、青白石の基壇の上に立ち、紅い壁、黄釉瓦をいただいた中国で現存する最大かつ最も完整した古建築群といわれています。

 紫禁城は『前朝』と『後寝』のニつの部分に分かれ、『前朝』は太和殿、中和殿、保和殿を中心として、左右に文華殿、武英殿を配しています。ここは皇帝が国家の行事を行ない、政治活動をする場所になります。

 『後寝』は乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西六宮、御花園を中心として、東側に奉先殿、皇極殿、西側に養心殿、雨花閣、慈寧宮などを配しています。ここは皇帝と后妃たちが居住し、宗教活動を行ない、日常の政務を取り扱う場所になります。

 民国元年(1911)の辛亥革命の後、紫禁城は国有になりましたが、「清皇室優遇条項」によって、退位した皇帝溥儀が「暫居宮禁」を許され、『後寝』に住み続けました。

 しかし、民国13年(1924)、直隷派軍閥の呉佩孚(1872〜1939)が、「第二次奉直戦争」で奉天派軍閥の張作霖(1873〜1928)の奉天軍と戦って北京を留守にしていた間に、国民軍を率いて北京に入った馮玉祥(1859〜1919)が、溥儀を紫禁城から退去させました。

以下づづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:12│Comments(0)歴史/北東アジア
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