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2005年01月21日

となり村名所あんない(10)-港村(4)-浅野さんちのお墓

 

 播州赤穂藩主 浅野内匠頭長矩之墓

 (旧暦 12月12日)

 元禄14年(1701)3月14日、江戸城中大廊下「松の廊下」で高家筆頭4,200石・従四位上・吉良上野介義央(1641〜1702)に刃傷に及んだ播州赤穂藩5万石・従五位下・浅野匠頭長矩は、陸奥一関藩3万石・田村右京大夫建顕(たけあき)邸に預けられ、即日切腹となりました。

 一関藩は、仙台藩祖伊達政宗の孫・田村宗良のニ男建顕が岩沼から移り、以後、幕末まで田村家の領するところとなりました。

 浅野匠頭長矩が吉良上野介義央に刃傷に及んだとき、田村右京大夫建顕は奥詰兼奏者番として江戸城内にありましたが、老中の命でその屋敷に長矩を預かることになりました。
 その後、急遽即日切腹の命が下りその処置にも対応したものの、従五位下という身分にもかかわらず庭先に作られた仮部屋での切腹だったため、以後伊達本家から義絶を受けたといわれています。
 
 そのため子孫は外様小藩にもかかわらず代々幕閣の要職に就きましたが、本藩の伊達家からは分家としての扱いしか受けられませんでした。

 長矩さんのご先祖は、浅野長政(1547〜1611)で、織田氏の弓衆であった叔父、浅野長勝の二女と結婚し浅野家の養子となりました。

 この叔父長勝が、養女としたのが、秀吉の正室ねね(おネ)であり、後の北政所です。つまり秀吉の妻と長政の妻は姉妹ということになります。

 正保2年(1645)、改易となった池田家の後を継ぎ、常陸笠間藩より浅野長直が5万3千石で入封しました。
その後、長友、長矩と続きますが、長矩の代になって、殿中刃傷事件で改易となりました。

 泉岳寺には、赤穂義士46人が吉良上野介の首を供えた、長矩さんのお墓が残されており、線香の煙が絶えません。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:53│Comments(0)となり村名所あんない
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