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2005年01月11日

北東アジア(4)-鉄函心史(てつかんしんし)(2)

 

 墨蘭図 鄭思肖(1241~1318)

 (旧暦 12月 2日)

  1.11忌

 鉄函心史(てつかんしんし)(1)のつづき

 鄭思肖(ていししょう)は画家としても名高く、墨蘭画を得意としましたが、南宋滅亡後は自身を蘭に譬え、蘭を描いて蘭根を描かず、国土が異民族に掠奪されたことを風刺して、元王朝に対する激しい抵抗の精神を表しました。

 日本に伝わる墨蘭図(大阪市立美術館・阿部コレクション)を見ると、たしかに根が描かれていないことがよく分かります。

 「鉄函心史(てつかんしんし)」は、異民族支配に対する過激な反政府文書であったため、満州族王朝の清代になると、危険文書として禁書リストの中にあげられました。
 しかし、清末の啓蒙思想家でジャーナリスト、政治家でもあった梁啓超(りょうけいちょう)(1873〜1929)は、光緒31年(1905)に『心史』を再版し、その序に、「古人の文章を数多く読んだが、本書ほど自分の心を振蕩(しんとう)させたものはない」と述べています。 

 『心史』には、鄭思肖の次のような文章があります。

 辛巳(しんし)(1281年)六月半ば、元賊、四明(しめい)(寧波)より海に下り大船七千隻、七月半ばに倭国白骨山(鷹島)に抵(いた)り、土城を築き兵を駐し塁に対す。

 晦日(かいじつ)(7月30日)大風雨と作(な)り雹(ほう)の大なること拳(こぶし)の如く、船は大浪に掀翻(きんぱん)し沈壊(ちんかい)し、韃(たつ)(モンゴル)軍の半ば海に没す。

 船は僅かに四百余隻回(かえ)り、二十万人は白骨山(鷹島)上に在りて船の渡帰する無く、倭人に尽(ことごと)く剿(ほろぼ)さる。

 また、鄭思肖には、「元韃(げんたつ)日本を攻めて敗北するの歌」と題する長詩がありますが、その詩は、元が敗北したことを述べて、次の句で結ばれています。

 身を翻(ひるがえ)し掌(たなごころ)を鼓(う)って一笑するの時
 万古(万歳)万古、万万古


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Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:04│Comments(0)歴史/北東アジア
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