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2004年12月24日

となり村名所あんない(5)-豊島村(1)-タネ屋街道

 となり村名所あんない(5)-豊島村(1)-タネ屋街道

 東京種苗株式会社

 (旧暦11月13日)

 慶長8年(1603)、幕府が開設されたことで江戸の人口は急激に増加しましたが、ここで発生したのが、食糧問題です。米は全国から取寄せることが出来ましたが、新鮮な野菜類は充足できず、多くの大名たちは、国元から百姓を呼寄せ、下屋敷などで野菜をつくらせました。
 
 そんなわけで、江戸近郊の農村では換金作物として、ナスやダイコン、ゴボウなどの野菜栽培が盛んになり、大消費地江戸の供給基地として発達しました。 とくにナスは優れたものが出来たことから、「駒込ナス」として江戸庶民に好まれ、徳川幕府が発行した「新編武蔵風土記稿」(1828)にも記されています。
 旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、縁側を使わせてもらう人などもいました。旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜を見かけると、国元で栽培しようと種子を欲しがる人も多く、やがては農家の副業として種子を販売するようになりました。

 その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、滝野川ニンジンなど優れた野菜が出現すると、種子を扱う専門店ができ、明治の中期には、豊島村巣鴨のとげぬき地蔵から板橋村清水に至る約6kmの間にタネ屋問屋が9軒、小売店が20軒も立ち並ぶ、タネ屋街道になっていました。

 寛永20年(1643)の代官所に申告した書付けに、信州諏訪の種の行商人が榎本種苗店(豊島村西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されているそうですが、それによると、馬12〜3頭を曳いて種子を仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立て街道筋の種子問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと同じように種子も行商により商われていたようです。

 旧中山道沿いの豊島村西巣鴨3-19には、「東京種苗株式會社」というお店が当時の面影を残しています。ガラス戸には「農産種子生産卸」と書かれています。

 帝都原産の野菜といえば「練馬大根」が有名ですが、それ以外にも例えば、小松川の小松菜、巣鴨のコカブ、田端の白瓜、三河島の白菜、砂町のニンジン、高井戸のキュウリ、亀戸の大根などが有名だったそうです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:02│Comments(0)となり村名所あんない
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