2004年12月04日
染井霊園(1)-陸軍歩兵大尉堅本暉之墓
豊島区駒込5丁目にある染井霊園は、帝都東京でも名のある霊園のうちのひとつです。
港区の青山霊園、台東区の谷中霊園、豊島区の雑司が谷霊園等々、これらの霊園には、歴史に名を残した数々の著名人とともに、歴史を担った無名の庶民も静かに眠っています。
トレーニングの途中にこれらの霊園を巡り、墓石に刻まれた人の人生に思いをはせるひと時も、感慨深いものがあります。
染井霊園の一角に、小雨にぬれてひっそりと佇む墓石に目が留まりました。
征露之役 明治三十七年五月廿六日 於清国金州南山戦死
陸軍歩兵大尉正七位勲五等功五級堅本暉之墓
金州南山といえば、日露開戦の3ヶ月後、奥保鞏大将率いる第2軍が明治37年(1904)5月26日未明、南山攻撃を開始、夕刻には日本軍の勝利で大勢は決しましたが、4500名の死傷者が出、乃木大将の長男乃木勝典中尉も第1師団歩兵第1聯隊第9中隊第1小隊長として戦死ところですね。
堅本大尉も必死で頑張ったんでしょうね。
染井霊園の一角に、小雨にぬれてひっそりと佇む墓石に目が留まりました。
征露之役 明治三十七年五月廿六日 於清国金州南山戦死
陸軍歩兵大尉正七位勲五等功五級堅本暉之墓
金州南山といえば、日露開戦の3ヶ月後、奥保鞏大将率いる第2軍が明治37年(1904)5月26日未明、南山攻撃を開始、夕刻には日本軍の勝利で大勢は決しましたが、4500名の死傷者が出、乃木大将の長男乃木勝典中尉も第1師団歩兵第1聯隊第9中隊第1小隊長として戦死ところですね。
堅本大尉も必死で頑張ったんでしょうね。
染井霊園(11)ー安岡正篤先生の墓
染井霊園(10)−ローデスカ・ワイリック先生の碑
染井霊園(9)−高田早苗先生の墓
染井霊園(8)−福岡孝弟(たかちか)の墓
染井霊園(7)−松浦詮(あきら)の墓
染井霊園(6)−幣原喜重郎の墓
染井霊園(10)−ローデスカ・ワイリック先生の碑
染井霊園(9)−高田早苗先生の墓
染井霊園(8)−福岡孝弟(たかちか)の墓
染井霊園(7)−松浦詮(あきら)の墓
染井霊園(6)−幣原喜重郎の墓
この記事へのコメント
維新の賊軍の藩の出身でありながら元帥にまで昇進したのは、この人だけですね。
ちなみに小倉藩出身です。
西南戦争では熊本に篭城ののち、決死隊の長として奮戦。
ちなみに小倉藩出身です。
西南戦争では熊本に篭城ののち、決死隊の長として奮戦。
Posted by はなゆー at 2004年12月04日 04:40
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