さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市中央区

ログインヘルプ


2013年01月05日

歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 阿國歌舞伎図屏風(部分) 京都国立博物館蔵

 (旧暦11月24日)

 今回は、年も明けて巳年なので、縁起良く歌舞伎でんな!
 歌舞伎が現在上演されているような様式を確立したのは、五代将軍徳川綱吉(在任1680〜1709)の時代、元禄(1688〜1704)以後のこととされています。

 そもそも歌舞伎の元祖とされるものは、慶長八年(1603)春四月、京都の北野天満宮で小屋掛けして興行を行い、大評判となった出雲阿國(1572 ?〜没年不詳)と云われています。
 阿國は、当時流行していたかぶき者の真似をして刀、脇差しを差し、異形の風体で茶屋の女と戯れる男を演じ、流行の歌に合わせて踊りを披露したと伝えられています。

 此頃カフキ躍(おどり)ト云事有、出雲國神子女(みこ)、名ハ國但非好女、仕出、京都ヘ上ル、縱(たとへ)ハ異風ナル男ノマネヲシテ刀脇差衣裝以下殊異相也、彼男茶屋ノ女ト戲ル體有難クシタリ、京中ノ上下賞翫スル事不斜(斜ならず)、伏見城ヘモ參上シ度々躍(おど)ル、其後學之(之を學ぶ)、カフキノ座イクラモ有テ諸國エ下ル、江戸右大將秀忠公ハ不見給。
 『当代記』 慶長八年四月の条


 現代の世相でも何か評判になるとすぐに模倣する者が現れますが、阿國の小屋掛けが評判になると真似をする者が多く現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎や、前髪を剃り落としていない少年の役者が演じる若衆歌舞伎が盛んになりました。

 遊女歌舞伎は性的にかなり刺激的な内容であったため、儒学を重んじる幕府の意向で、風紀を乱すとの理由から寛永六年(1629)に禁止され、若衆歌舞伎も男色の売色目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したことなどから慶安五年(1652)に禁止され、現代に連なる野郎歌舞伎となったとされています。

 さて、歌舞伎の数多くの演目、あるいは独特の演出を数世紀にわたって承継してくることができたのは、俳優が世襲制であったことによります。
 歌舞伎俳優にはいくつかの家の系統があり、その家の代々の当主は、先代の実子あるいは養子としてその家の家業を継いできました。

 現在残っている家系では、市川宗家、市川家(門弟の家系)、尾上家、沢村家、中村家(東京と大阪の二系統)、片岡家、板東家、松本家、実川家などがあり、かつては江戸三座の座元の名であった中村勘三郎、市村羽左衛門、守田勘彌が俳優の芸名として一つの家系にもなっています。

 先般、急性呼吸窮迫症候群のため亡くなって、世間がと云っても、テレビが大騒ぎしていた中村勘三郎は十八代目でしたが、初代は中村座開祖で、中村姓の歌舞伎役者の始祖でもあり、出雲阿国(1572?〜没年不詳)以後に現れた重要な歌舞伎役者の一人でもあるとされています。

 そしてこれらの家系が、それぞれの芸風あるいは役柄を伝えて今日に至っています。
 その主な芸風あるいは役柄には、以下のようなものがあります。

 和事 元禄時代の上方で初代坂田藤十郎によって完成された、やわらかで優美な歌舞伎の演技で、澤村家が得意としていた。

 荒事 元禄時代の江戸で初代市川團十郎によって創始された、荒々しく豪快な歌舞伎の演技で、市川家が伝承している。

 実事 誠実な人物が悲劇的な状況の中で苦悩しながらも事件に立ち向かう姿を描く歌舞伎の演技。

 女方 歌舞伎に登場する女性の役、また女性の役を演じる俳優のことを指し、通説によると寛永六年(1629)に幕府が女歌舞伎を禁止し、女性が舞台に立てなくなったために男性の俳優が女性の役も演じるようになったと云われている。


 こうして代々伝えてきた家の芸のうち、七代目市川團十郎(1791〜1859)が撰んで定めた演目に、歌舞伎十八番があります。

 七代目團十郎が市川流の「歌舞妓狂言組十八番」の制定を公表したのは、天保三年(1832)三月の市村座で、当時すでに成田屋の代表的なお家芸として知られていた『助六由縁江戸櫻』を上演し、長男六代目海老蔵に八代目團十郎を襲名させ、自らは五代目海老蔵に復すことにした「八代目市川團十郎襲名披露興行」の席上でした。

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 「歌舞妓狂言組十八番」制定の摺物 鳥居清満(二代)

 このとき贔屓の客には特に一枚の摺物が配られましたが、この摺物には、この興行で上演される『助六由縁江戸櫻』とともに、かつて初代、二代目、四代目の團十郎が得意とした荒事の演目が十八番列記されており、これを題して「歌舞妓狂言組十八番」と称しました。

 この歌舞妓狂言組十八番のなかで最も人気が高く上演回数が多いのは『助六』『勧進帳』『暫』の三番であり、このほかにもしばしば上演されるのが『矢の根』と『外郎売』、そして『毛抜』と『鳴神』だそうです。
 これ以外の演目は、今日はほとんど上演されることがなく、『不動』、『関羽』、『象引』、『七つ面』、『解脱』、『嫐』、『蛇柳』、『鎌髭』、『不破』、『押戻』の十番は、いずれも七代目團十郎が歌舞伎狂言組十八番を撰んだ天保年間にはすでにその内容がよくわからなくなっていたと云います。

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 『助六由縁江戸櫻』
 天保三年三月(1832)、江戸市村座の「八代目市川團十郎襲名披露興行」における『助六所縁江戸櫻』。
 中央に七代目市川團十郎改メ五代目市川海老蔵の花川戸助六、左は五代目岩井半四郎の三浦屋揚巻、右は五代目松本幸四郎の髭の意休。

 こうした演目を、口承やわずかな評伝、錦絵などをもとにして創作を加えながら復元し、次々に「復活上演」を行ったのが、幕末から明治にかけて活躍した九代目市川團十郎(1838〜1903)と、慶應義塾に学び卒業後、日本通商銀行に就職、後に九代目市川團十郎の長女実子と恋愛結婚し、市川宗家に婿養子として入った市川三升(1982〜1956)でした。
 市川三升は『解脱』、『不破』、『象引』、『押戻』、『嫐』『七つ面』、『蛇柳』などの絶えていた歌舞妓狂言組十八番を次々に復活上演し、その半生を意欲的な舞台活動と研究に費やし、市川宗家の家格を守り抜いています。
 その功績を讃えて九代目は「劇聖」と謳われ、三升には死後「十代目市川團十郎」が追贈されています。

 こうした背景から、市川宗家にとって現存する歌舞伎十八番の台本は家宝に他ならず、代々の当主はこれを書画骨董や茶器と同じように立派な箱に入れ、納戸に入れて大切に保管していたので、市川宗家で「御箱」といえば「歌舞伎十八番」のことを指すようになったと云われています。

 十八番と書いて「おはこ」と読ませた初出は、江戸後期の戯作者柳亭種彦(1783〜1842)が文化十二年(1815)から天保二年(1831)にかけて書いた、人気演目の翻案を芝居の脚本(正本)風に仕立てた『正本製(しやうほんじたて)』で、今日でも「ある者が最も得意とする芸」のことを「おはこ」と言い、これを漢字で「十八番」と当て書きされています。
 では、服部幸雄著『市川團十郎代々』(講談社)を参考に、歌舞伎狂言組十八番の内容を覗いてみましょう。

 1. 『不破』
  全盛の傾城葛城を自分のものにしようと、恋の達引をする不破伴左衛門と名古屋山三郎とが「鞘当」をする筋書き。
  延寶八年(1860)三月初演 原題名 遊女論(ゆうじよろん) 

 2. 『鳴神』
  滝壺に世界中の竜神を封じ込めて雨を降らせないようにした鳴神上人が、美しい女性の色香に惑わされて破戒堕落し、悪鬼となって荒れ狂う筋書き。
  貞享元年(1868)一月初演 原題名 門松四天王(かどまつしてんわう)

 3. 『暫』
  罪のない善男善女が悪人に捕らえられ、皆殺しにされようとする危機一髪 の時に、「しばらく、しばらく~」と大声をかけて現れた主人公が超人的な力で荒れて救う筋書き。江戸時代、江戸の顔見世狂言に入れる約束になっていた局面を独立させたもの。
  元禄十年(1697)一月初演 原題名 參会名護屋(さんかいなごや)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 4. 『不動』
  不動明王尊像に扮して出現するだけの神霊事。江戸時代にはいろいろな狂言の大切(おおぎり、一日の興行の最終幕最後の場面)に組みこんで演じられていたが、現行のものは『雷神不動北山櫻』を通して復活上演した時、その大切(おおぎり)に入った作品。
  元禄十年(1697)五月初演 原題名 兵根元曾我(つわものこんげんそが)


 5. 『嫐』(うはなり)
  藤壺の怨霊による嫉妬事らしいが、その内容は伝わらない。
  元禄十二年(1699)七月初演 原題名 一心五界玉(いつしんごかいのたま)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 6. 『象引』
  蘇我入鹿が差し向けた大きな象を、藤原鎌足の家来、山上源内左衛門が怪力で引き合った末、たくみに手なずけて曳いて行くという筋書き。
  元禄十四年(1701)一月初演 原題名 傾城王昭君(けいせいおうせうくん)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 7. 『勧進帳』
  兄頼朝と不和になり、山伏姿に身をやつして奥州へ落ちる源義経が、加賀国安宅の関にさしかかるとき、関守の富樫左衛門に見とがめられる。弁慶は機転で偽りの勧進帳を読み、さらにを主君を打擲する。弁慶の苦衷を察した富樫は一行を通すという筋書き。
  元禄十五年(1702)二月初演 原題名 星合十二段(ほしあいじふにだん)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

 8. 『助六由縁江戸櫻』
  曽我五郎時致(ときむね)は、花川戸の助六という侠客となって、源氏の宝刀友切丸を探し出すため吉原に出入りしている。三浦屋の遊女揚巻と恋仲になった助六は、吉原で豪遊する意休という老人が、この刀を持っていることを聞きだし、奪い返すという筋書き。
  正徳三年(1713)四月初演 原題名 花館愛護桜(はなやかたあいござくら)

 9. 『外郎売』
  曾我十郎が小田原の「透頂香(とうちんこう、外郎と通称する)」という薬を売り歩く商人の扮装で現れ、この中国伝来の妙薬の由来や効能をすらすらとよどみなく述べ立てる。雄弁術を聞かせるのが眼目の役と演技。
  享保三年(1718)一月初演 原題名 若緑勢曾我(わかみどりいきほひそが)

10.『矢の根』
  正月の曾我の里で、大きな砥石で矢の根を磨いていた曾我五郎の初夢に、兄十郎の生霊が現れ、いま敵の館に捕らえられていると告げて助けを求める。驚いた五郎は四方の悪魔払いをした後、来合わせた裸馬に乗り、大根を鞭にして駆け出すという筋書き。
  享保五年(1720)一月初演 原題名 楪根元曾我(ゆずりはこんげんそが)  

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

11.『押戻』
  紅の筋隈、鋲打ちの胴着、菱皮の鬘、三本太刀など、典型的な荒事師の扮装に、竹の子笠をかぶり蓑を着て、太い青竹を手にして登場し、跳梁する妖怪や怨霊を花道から本舞台に押し戻す役とその局面。
  享保十二年(1727)三月初演 原題名 国性爺竹抜五郎(こくせんやたけぬきごろう)

12.『景清』
  平家の侍、悪七兵衛景清は鎌倉方に捕らえられ牢に入れられるが、豪勇を奮って堅固な牢を破って飛び出し、荒々しい大立ち回りを演じる。「牢破りの景清」とも言う。
  享保十七年(1732)九月初演 原題名 大銀杏榮景清(おおいちやうさかへかげきよ)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

13.『関羽』
  三河守源範頼が皇位をうかがっていると知った藤原景清が張飛の姿で範頼の館へ忍び込むと、畠山重忠が関羽の姿で馬に乗って登場し、両雄が大活躍するという筋書き。
  元文二年(1737)十一月初演 原題名 閏月仁景清(うるふづきににんかげきよ)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

14.『七つ面』 
  面打の元興寺(がごぜ)赤右衛門が、並べてある面箱を次々に開けていくと、尉、ひょっとこ(塩吹)、般若、姥、武悪(ぶあく)という五種の面が現れる趣向で、面は全部二代目團十郎が早替りで見せたという。後に七種にして演じたこともあるのでこの名がある。
  元文五年(1740)二月初演 原題名 姿觀隅田川(すがたみすみだがわ)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

15.『鑷(毛抜)』
  お家の横領を企む悪人の奸計で姫は髪の逆立つ奇病になり、約束の婚姻が延引する。主人の使いで婚礼の催促にきた粂寺弾正は、鉄製の毛抜が自然に立って踊ることから、天井に磁石があると見破り、悪人を退治して婚儀を成立させるという筋書き。
  寬保二年(1742)一月初演 原題名 雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)

16.『解脱』 
  嫉妬して男を追う人丸姫が釣鐘の中に入る。悪七兵衛景清の亡魂が娘の姿を借りて薄衣をかぶって出現し、恨みと迷いの振りの後に得脱し、景清の姿になって消えるという筋書きだったと推測されている。
  寶暦十年(1760)三月初演 原題名 曾我萬年柱(そがまんねんばしら)

17.『蛇柳』
  丹波の助太郎という愚か者に、失恋の末に死んだ娘の亡魂が乗り移り、嫉妬の荒れを見せるといった内容だったようで、蛇柳は高野山の麓にある柳で、弘法大師の功徳によって千年の緑を保つとされた。女人禁制の寺ゆえに、男に捨てられた女の怨念がこもるのを蛇に通わせて生まれたという伝承を背景にしている。
  寶暦十三年(1763)五月初演 原題名 百千鳥大磯流通(ももちどりおおいそがよい)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番

18.『鎌髭』
  鍛冶屋の四郎兵衛じつは三保谷四郎が、廻国の修行者快哲じつは景清の首を髭剃りに事よせて鎌で切ろうとするが、景清は不死身のために切れないという筋がき。
  安永三年(1774)四月初演 原題名 御誂染曾我雛形(おあつらへぞめそがのひながた)

 歌舞伎(4)−歌舞伎十八番


あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(歌舞伎)の記事画像
歌舞伎(3)−三人吉三廓初買
歌舞伎(2)-勧進帳(2)
歌舞伎(1)-勧進帳(1)
同じカテゴリー(歌舞伎)の記事
 歌舞伎(3)−三人吉三廓初買 (2006-01-22 23:37)
 歌舞伎(2)-勧進帳(2) (2004-12-18 23:25)
 歌舞伎(1)-勧進帳(1) (2004-12-17 20:09)
Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:17│Comments(0)歌舞伎
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
歌舞伎(4)−歌舞伎十八番
    コメント(0)