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2012年08月09日

物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 Murasaki depicted gazing at the Moon for inspiration at Ishiyama-dera by Yoshitoshi (1889).

 (旧暦6月22日)

 太祇忌(不夜庵忌)

 江戸中期の俳人、炭太祇(不夜庵)の明和8年(1771)の忌日。
 水国(雲津鶴隣)、慶紀逸に俳諧を学び、宝暦年間(1751〜1764)には奥州・京都・九州などを巡った後、京都島原の遊郭内に不夜庵を営み、支持者である京都島原遊郭桔梗屋の主人桔梗屋呑獅のほか与謝蕪村とも親交が厚く、明和俳壇の中心人物として知られている。
 句集として『太祇句選』、『太祇句選後編』などがある。

  蚊の声は 打も消さぬよ雨の音
  かきつばた やがて田へとる池の水
  酔ふして 一村起ぬ祭りかな



 
 源氏物語は長すぎることが不幸だ。
 源氏物語は長すぎるためになかなか人に読まれない。読まれて正当な評価をうけることがむずかしい。それが源氏物語の不幸なのだ。


 慶應義塾在学中から著名な民俗学者、国文学者である折口信夫(1887〜1953)に師事し、古代学の継承と王朝の和歌・物語を研究してきた西村亨博士(1926〜)は、その著「知られざる源氏物語」(講談社学術文庫)の冒頭で、師折口信夫の源氏物語に対するを論評を紹介しています。

 物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 折口信夫博士(1887〜1953)

 紫式部(生没年不詳)が著した54帖からなるとされる源氏物語は、おおむね100万文字、22万文節、400字詰め原稿用紙約2,400枚に及ぶ大作です。
 それは70年余りの出来事が描かれた長編でおよそ500名余りの人物が登場し、800首弱の和歌を含む王朝物語と解説されています。

 たしかに源氏物語は長すぎるので原文で通読した人はめったに見あたらず、人々からその全貌も知られず、真価も知られていません。

 さらには文壇の著名人から源氏物語悪文説が起きたりして、源氏物語の評価を傷つけているということも指摘されています。
 この源氏物語悪文説は、かの森鴎外あたりから始まったことらしく、今回、私「嘉穂のフーケモン」が挑戦しようとしている與謝野晶子の口語訳、與謝野源氏に寄せた序文の一節が西村亨博士により紹介されています。

 わたくしは源氏物語を読む度に、いつも或る抵抗に打ち勝つた上でなくては、詞から意に達することが出来ないやうに感じます。そしてそれが単に現代語でないからだと云ふ丈ではないのでございます。或る時故人松波資之さんに此事を話しました。さうすると松波さんが、源氏物語は悪文だと云はれました。随分皮肉な事も言ふお爺さんでございましたから、此詞を余り正直に聞いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解するべきではございますまい。併し源氏物語の文章は、詞の新古は別としても、兎に角読み易い文章ではないらしう思はれます。
 岩波書店版『鴎外全集』


 さて、源氏物語の現代語訳では、その主な物でも、

 1. 與謝野晶子
 2. 谷崎潤一郎
 3. 窪田空穂
 4. 円地文子
 5. 田辺聖子
 6. 瀬戸内寂聴


などなど、錚々たる作家が名を連ねています。

また、漫画の世界でも、

 1. 『あさきゆめみし』 (1979〜1993、全13巻、講談社、大和和紀)
 2. 『源氏物語』 (1988〜1990、全8巻、小学館、牧美也子)
 3. 『パタリロ源氏物語!』 (2004〜2008、全5巻、白泉社、魔夜峰央)


等々、これまた多士済々です。

 では、源氏物語は何を書いた物語なのでしょうか。
 西村亨博士は、首都圏近郊のある女子短大での源氏物語に対するアンケート調査を紹介していますが、その回答結果は、

 1. 光源氏は女性たちを不幸にしたプレイボーイで、女性の敵である。
 2. 源氏物語は、はなやかな宮廷生活を描いた作品である。
 3. 光源氏が母親の面影を追い求めて継母である藤壺と密通するにいたったことから、光源氏はマザコンである。
 4. 幼い紫の君に対する光源氏の愛着から、光源氏はロリコンである。


等々、あまり芳しいものではありませんでした。
 
 「結局、女子短大生たちにとっては、源氏物語はマザコンとロリコンの物語である。」

 では、本当に「源氏物語はマザコンとロリコンの物語」なのでしょうか。

 昔から、源氏物語は大変に名声が高い一方で、「誨淫の書」、つまりみだらなことを教える書だとの厳しい評価を受け続けてきました。

 一方、和歌の世界では、源氏物語を積極的に評価しました。
 鎌倉初期の新古今集の時代には、歌人たちの間に源氏物語を恋歌を詠む場合の手本にしようとする傾向がはっきりと現れてきました。

 物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 藤原俊成(菊池容斎画、明治時代)

 建久四年(1193)に行われた六百番歌合における判者である藤原俊成(1114〜1204)は、冬上十三番 「枯野」の判で、以下のように述べています。

「枯野」



 〔左〕 女房
 見し秋を何に残さむ草の原 ひとつにかはる野辺のけしきに







 〔右〕 隆信朝臣


 霜枯の野辺のあはれを見ぬ人や 秋の色には心とめけむ






 左、何に残さん草の原といへる、艶にこそ侍めれ。

 右ノ方人、草の原、難申之条、尤うたゝあるにや。

 紫式部、歌詠みの程よりも物書く筆は殊勝也。

 其ノ上、花の宴の巻は殊に艶なる物也。

 源氏見ざる歌詠みは遺恨ノ事也。

 右、心詞悪しくは見えざるにや。

 但、常の体なるべし。左ノ歌、勝と申べし。

  

 右の方人が、「草の原」という一句について、和歌の用語として聞き慣れない言葉だととがめたのに対して、俊成は、これが源氏物語の第八帖「花宴」の巻にあることばだと指摘したうえで、歌人として源氏物語を読んでいないのは残念なことだと手厳しくその無知をとがめています。
 時代は下って、江戸中期の国学者本居宣長(1730〜1801)は、源氏物語の価値はあくまでも文芸の面から論じられなくてはならないとして、「もののあはれ」ということを唱えました。

 源氏物語は、自然や人生のしみじみとした情趣である「もののあはれ」が主題であり、「あはれ」を知ることを教えている。だからこそ価値があり、その内容が道徳的な善悪にとらわれたりはしないのだ、と。

 しかしながら、昭和の初期、大東亞戦争時の思想統制、言論統制が強化された時代においては、たとえフィクションであるにせよ、皇室の内部に不倫が行われ、あまつさえ不義の子が皇位に即くというような内容は、天皇を神聖視し、万世一系の皇統を崇拝する軍部指導者や国粋主義者の容認するところではありませんでした。

 戦後、折口信夫は、戦争により中断していた「源氏全講会」を復活させ、源氏物語の「いろごのみ」論として本居宣長の「もののあはれ」論以来の新しい主題論を提唱しました。
 折口信夫の「いろごのみ」とは、決して好色のことを言っているのではなく、古代社会の最上層に位置する男性が持つべき生活の目標であり、倫理的な理想ともいえるとしています。
 わかりやすく言えば、源氏物語はこの世で一番立派な男がいかに生きたか、その生涯を描いた物語だともいえるでしょう。

 以下、原文とコロンビア大学名誉教授E.G.サイデンスティッカー博士による英訳 ”The Tale of Genji” (Knopf, 1976)から辿ってみましょう。

 物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 Edward George Seidensticker(1921〜2007)

 E.G.サイデンスティッカー(Edward George Seidensticker,1921〜2007)博士は、谷崎潤一郎(1886〜1965)、川端康成(1899〜1972)、三島由紀夫(1925〜1970)などの文学作品の翻訳を通して、日本の文化を広く英語圏に紹介したアメリカ人の日本学者(Japanologist)として知られています。

 また、彼は、イギリスの東洋学者であるアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley,1889〜1966)に続く二度目の『源氏物語』英語完訳も行っています。
 The Tale of Genji (Knopf, 1976)

 日米開戦直前の1946年11月1日、アメリカ海軍の提案で、日本語教育プログラムがハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校で開始されました。これを総称して、米海軍日本語学校(US Navy Japanese/Oriental Language School)と呼んでいますが、E.G.サイデンスティッカーはこの日本語学校で日本語を学んだ後、海兵隊の語学将校として硫黄島上陸作戦などに従軍し、戦後、日本に進駐しています。

 帰米後、コロンビア大学で公法及び行政学の修士号を取得。1947年に国務省外交局へ入り、1948年に連合軍最高司令長官付外交部局の一員として滞日し、その傍ら、東京大学に籍を置いて国文学者吉田精一(1908〜1984)のもとで日本文学を勉強しています。
 
 その主な翻訳には、下記のようなものがあります。

 1. Some Prefer Nettles (谷崎潤一郎「蓼喰ふ蟲」, Knopf, 1955)
 2. The Makioka Sisters(谷崎潤一郎「細雪」, Knopf, 1957).
 3. Snow Country (川端康成「雪国」, C.E.Tuttle , 1956)
 4. Thousand Cranes(川端康成「千羽鶴」, 1958).
 5. The Izu Dancer(川端康成「伊豆の踊り子」, 1964).
 6. House of the Sleeping Beauties (川端康成「眠れる美女」, 1969).
 7. Sound of the Mountain (川端康成「山の音」, 1970).
 8. The Master of Go (川端康成「名人」, 1972).
 9. The Decay of the Angel (三島由紀夫「天人五衰」, 1975)




 紫のかがやく花と日の光 思ひあはざることわりもなし      (晶子)

 桐壺
 The Paulownia Court

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。

 In a certain reign there was a lady not of the first rank whom the emperor loved more than any of the others. The grand ladies with high ambitions thought her a presumptuous upstart, and lesser ladies were still more resentful. Everything she did offended someone. Probably aware of what was happening, she fell seriously ill and came to spend more time at home than at court. The emperor's pity and affection quite passed bounds. No longer caring what his ladies and courtiers might say, he behaved as if intent upon stirring gossip.

 上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

 His court looked with very great misgiving upon what seemed a reckless infatuation. In China just such an unreasoning passion had been the undoing of an emperor and had spread turmoil through the land. As the resentment grew, the example of Yang Kuei-fei was the one most frequently cited against the lady.

 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりで世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。

 She survived despite her troubles, with the help of an unprecedented bounty of love. Her father, a grand councillor, was no longer living. Her mother, an old-fashioned lady of good lineage, was determined that matters be no different for her than for ladies who with paternal support were making careers at court. The mother was attentive to the smallest detail of etiquette and deportment. Yet there was a limit to what she could do. The sad fact was that the girl was without strong backing, and each time a new incident arose she was next to defenseless.

 物語(11)-源氏物語(1)-桐壺

 Kiritsubo, Lady. Genji's mother, a favorite wife of his Emperor father, but persecuted by her rivals at court, who resented the favors granted someone of relatively undistinguished birth. She dies when he is very young.

 
 1. 限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり
  “I leave you, to go the road we all must go.
     The road I would choose, if only I could, is the other.“


 2. 宮城野の霧吹き結ぶ風の音に 小萩が本を思ひこそやれ
  “At the sound of the wind, bringing dews to Miyagi Plain,
     I think of the tender hagi upon the moor.“


 3. 鈴虫の声の限りを尽くしても 長き夜あかずふる涙かな
  “The autumn night is too short to contain my tears
     Though songs of bell cricket weary, fall into silence.“


 4. いとゞしく虫の音しげき淺茅生に 露をき添ふる雲の上人
  “Sad are the insect songs among the reeds.
     More sadly yet falls the dew from above the clouds.“


 5. 荒き風防ぎし蔭の枯れしより 小萩が上ぞしづ心無き
   "The tree that gave them shelter has withered and died.
      One fears for the plight of the hagi shoots beneath.“


 6. 尋ねゆくまぼろしもがなつてにても 玉のありかをそこと知るべく 
  “And will no wizard search her out for me,
     That even he may tell me where she is?“


 7. 雲うへも涙に暮るる秋の月 いかで住らむ淺茅生の宿 
  “Tears dim the moon, even here above the clouds.
      Dim must it be in that lodging among the reeds.“


 8. いときなき初元結ひに長き世を 契る心は結びこめつや 
  “The boyish locks are now bound up, a man's.
      And do we tie a lasting bond for his future?“


 9. 結びつる心も深き元結ひに 濃き紫の色しあせずは 
  “Fast the knot which the honest heart has tied.
     May lavender, the hue of the troth, be as fast.“


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