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2012年07月23日

歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 Illumination of Earth by Sun at the northern solstice.

 歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 Illumination of Earth by Sun at the southern solstice.


 (旧暦6月5日)


                 The Sun

 Had first his precept so to move, so shine,

 As might affect the Earth with cold and heat

 Scarce tollerable, and from the North to call

 Decrepit Winter, from the South to bring
 Solstitial summers heat.
  ーJ.Milton : Paradaise Lost, Ⅹ. 651-6

                   太陽は初め、
 地球にほとんど耐えられぬほどの寒さと暑さを与え、
 北からは老いぼれの冬を呼び、
 南からは夏至の酷暑を持ってくるように、
 そのように運行し、照り輝く規則を持っていた。
  ジョン・ミルトン :失楽園 Ⅹ. 651-6


 太陽が夏至点にあるとき、夏至点は北半球ではthe Tropic of Cancerにあり、同様に冬至点は南半球ではthe Tropic of Capricornにあります。

 英語圏などヨーロッパ言語の多くでは、北回帰線のことを“Tropic of Cancer”と呼び、南回帰線のことを“Tropic of Capricorn”と呼んでいます。

 これは、現在の星座が成立した古代バビロニアの時代(B.C.1900〜B.C.1600)には、かに座の領域に夏至点があり、やぎ座の領域に冬至点があったためであるとされています。

 『カンタベリー物語』 ”The Canterbury Tales”を書いたことで有名な14世紀イングランドの詩人、ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343?〜1400)は占星学にも詳しく、古代の天文測定機器であるアストロラーベ” Astrolabe”の解説書を残していますが、この夏至点については次のように説明しています。

 17. The plate under thy rict is descryved with 3 principal cercles; of whiche the leste is cleped the cercle of Cancer, by-cause that the heved of Cancer turneth evermor consentrik up-on the same cercle. In this heved of Cancer is the grettest declinacioun northward of the sonne. And ther-for is he cleped the Solsticioun of Somer; whiche declinacioun, aftur Ptholome, is 23 degrees and 50 minutes, as wel in Cancer as in Capricorne. This signe of Cancre is cleped the Tropik of Somer, of tropos, that is to seyn `agaynward'; for thanne by-ginneth the sonne to passe fro us-ward. And for the more declaracioun, lo here the figure.
 —Geoffrey Chaucer:A Treatise on the Astrolabe,Ⅰ.17
 

 17. 網状の下にある板の上に3つの主要な円が刻まれていて、そのうち一番小さいものが蟹の円と呼ばれるが、それは蟹の頭(巨蟹宮の始まりの領域)が常にその円の周りを回っているからである。
 この蟹の頭は、太陽が北に向かって一番傾いた時であるから、夏至点と呼ばれる。プトレマイオスは、この傾斜は蟹座にあっても山羊座にあっても同様に23度50分であることを与えている。この蟹座の領域は、回帰という言葉から北回帰線と呼ばれる。つまりそこから太陽は遠ざかって行くからである。
 『アストロラーベの解説書』  ジェフリー・チョーサー


 歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 An 18th-century Persian astrolabe.

 ま、そういうわけで6月21日の夏至も過ぎて、帝都東京はあまり雨も降らずに暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですかのう?

 内地では梅雨の季節ですが、英国でも米国でも特定の雨季がないから、”rainy season” という言葉はあまり使われないようです。使われたとしても、自国以外の国について書かれたものに見るくらいのものです。

 The rainy season came on.     
 雨季がやってきた。
  -D. Defoe : Robinson Crusoe, Ⅱ.ⅳ

 なるほど。ロビンソン・クルーソーならば、熱帯の無人島でしょうから、雨季があるのはわかりますね。

 英国でも米国でも、“Rainy season” はあまり用いられませんが、しかし、”rainy day” はよく使われるようです。

 When up the lonely brooks on rainy days
 Angling I went, or trod the trackless hills
 By mists bewildered, ….
  —William Wordsworth : The Prelude, Book Ⅷ.

  
 雨の降る日には、寂しい小川を釣りをしながら登っていった。
 あるいは、道なき丘を霧に悩まされながら辿っていった。
 ウィリアム・ワーズワース 『序曲』 8巻
 さて我が国では、陰暦の五月は新暦では6月から7月に当たり、梅雨の季節でもあります。
 陰暦5月を皐月(さつき)と呼びますが、この月は田植をする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったものであるとされています。
 また、「さ」という言葉自体は田植の古語で、古来の田植えの時期の意味があるので、「さつき」だけで「田植の月」になるとする説もあるようです。

 五月雨は陰暦五月頃に降り続く長雨で、田植えの時期を意味する「さ」と雨を意味する「水垂れ」から、「さみだれ」となったようです。
 このうっとうしい雨の季節については、昔から様々な思いが歌に残されています。

                         凡河内躬恒
 さみだれに乱れてものを思ふ身は 夏の夜をさへ明かしかねつる
                     新千載集  巻十四  戀哥四 1502

 恋歌の中に                   凡河内躬恒
 五月雨のたそかれ時の月かげの おぼろけにやはわれ人を待つ
                     玉葉集 巻十 戀二 1397

 寛平の御時きさいの宮の歌合のうた        紀とものり
 五月雨に物思ひをればほととぎす 夜ふかく鳴きていづちゆくらむ
                     古今集  巻三  夏哥 153

 ほとゝぎすのなくをきゝてよめる         つらゆき
 五月雨の空もとゞろにほととぎす なにをうしとか夜たゞ鳴くらん
                     古今集  巻三  夏哥 160

 慶應義塾在学中から著名な民俗学者、国文学者の折口信夫(1887〜1953)に師事し、古代学の継承と王朝の和歌・物語を研究してこられた西村亨博士(1926〜)によれば、

 さみだれのころには神の群行があって、神々の生活がそこに存在する。だから、人間の生活は非常に逼塞せられるわけである。五月はもの忌みの月で、厳重な謹慎の生活をしなければならない。人間としての生活、男女の間のまじわりなども禁じられている。

 と云うことだそうです。

 また、五月の田植えの時期のもの忌みを表す「ながめ忌み」は、「長雨忌み」がつづまったもので、折口信夫も「古代民謡の研究」で次のように述べています。

 ながめは、ながめいみから出て固定した語で、五月の「雨期虔(アマヅ)み」と言ふ語がある以上、ながめいみは、霖雨期に当つての、禁欲・不外出のつれづれを思い沁(し)む、成年男子の毎年の経験から来て、ながめと略しても訣(わか)る程、広く久しく用ゐられて居た様である。

 歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 梅雨前線の北上形態
 
 やよひのついたちより、忍びに人に物らいひてのちに、
 雨のそぼふりけるによみてつかはしける      在原業平朝臣
 起きもせずねもせで夜をあかしては 春の物とてながめくらしつ
                     古今集 巻十三 戀哥三 616

                         小野小町
 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに
                     古今集 巻二 春哥下 113

 
 どちらも、今日の眺めるとは異なり、もう少し内面的な内容を含んでいる歌として「折口信夫事典」で紹介されています。
 
 何だか性欲的に満足されない不満足な気持で、唯、ぼんやりとして憂鬱な表情で、庭などを見出だしてゐる様子
 「年中行事」全集十五・76


 古代の農耕社会の信仰生活に基盤をもったながめ忌みの習俗は、時代を超えて社会を異にした平安期の宮廷社会にも影響を与えていたようです。

 西村亨博士によれば、源氏物語五十四帖の第二帖「帚木」で描かれている「雨夜の品定め」の段などは、そうした宮廷のもの忌み生活の禁欲状態が背景となっていると見ることができるとしています。

 また、平安期の文学はさながら「ながめの文学」と呼ぶことができるほど、ながめ忌みの習俗に彩られていたと述べています。

 時代ははるかに降って、元禄二年(1689)旧暦五月十三日、俳聖芭蕉が奥州平泉の中尊寺金色堂で詠んだ句はつとに有名ですが、「五月雨」という季語は、芭蕉が特に好んで用いた季語でもあるようです。
 
 五月雨の降り殘してや光堂

 歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 中尊寺芭蕉句碑

 同じく元禄二年(1689)旧暦五月二十九日、出羽國大石田の高野平右衞門亭にて芭蕉、一栄(高野平右衞門)、曾良、川水(高桑加助)の四名による「一巡四句」の四吟歌仙の発句として詠まれた次の句も有名です。

 さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川  芭蕉
 岸にほたるを繋ぐ舟杭        一栄
 爪ばたけいざよふ空に影待ちて    曾良
 里をむかひに桑のほそミち      川水
 「芭蕉真蹟歌仙」

 後日、芭蕉は梅雨期の濁流渦巻く最上川を本合海(新庄市本合海)から清川(庄内町清川)まで下り、最上川の流れのすざまじさに強い印象を受けて、

 五月雨をあつめて早し最上川

と改案しています。 


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Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:24│Comments(0)歳時記
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