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2008年12月05日

艦船(6)-プリンス・オブ・ウェールズ(2)

 

 The crew of the sinking Prince of Wales abandoning ship to the destroyer Express. Moments later the list on Prince of Wales suddenly increased and Express had to withdraw by Wikipedia.
 
 沈み行くプリンス・オブ・ウェールズを退去し、接舷した駆逐艦に移乗する乗組員。この後、プリンス・オブ・ウェールズは傾斜を増し、駆逐艦エクスプレスは離脱しなければならなかった。

 (旧暦 11月 8日)

 モーツアルト忌  1791年にウィーンで、レクイエム ニ短調 K. 626の作曲中に35歳の若さで死去したオーストリア古典派の作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の命日。死因は、リューマチ熱(Rheumatisches Fieber)であったと考えられている。

 艦船(5)-プリンス・オブ・ウェールズ(1)のつづき

 太平洋戦争開戦劈頭の1941年12月8日、マレー半島攻略の命令を受けた日本軍(第25軍、司令官山下奉文中将、近衛師団、第5師団、第18師団、第3戦車団他)の上陸部隊を載せた21隻からなる輸送船団攻撃のため、シンガポールのセレター軍港を出港したプリンス・オブ・ウェールズ他のZ部隊( Force Z)は、12月9日、日本海軍の伊号第65潜水艦に捕捉されてしまいます。

 翌12月10日午前6時25分過ぎに、サイゴン(ホーチミン)に司令部をおく海軍第二十二航空戦隊(司令官松永貞市海軍少将)指揮下の元山航空隊から発進していた9機の索敵機のうち、3番索敵線を担当していた帆足正音少尉機は、11時45分、断雲の彼方に英国東洋艦隊主力を発見し、司令部につぎつぎと電文を打電します。

 敵主力見ユ、北緯四度、東経一〇三度五五分、針路六〇度、一一四五
 
 敵主力ハ三〇度ニ変針ス、一一五〇
 
 敵主力ハ駆逐艦三隻ヨリ成ル直衛ヲ配ス、航行序列キング型、レパルス型、一二〇五


 これより先の午前7時55分、サイゴンの基地から元山航空隊の九六式陸上攻撃機25機、うち九一式航空魚雷改一装備(炸薬量170㎏)16機、50番(500㎏)通常爆弾装備9機が発進。

 続いて午前8時14分にはサイゴン北方20㎞のツドウム基地から鹿屋航空隊の一式陸上攻撃機26機、全機九一式航空魚雷改二装備(炸薬量204㎏)が発進。

 直後の午前8時20分に同じくツドウム基地から美幌航空隊の九六式陸上攻撃機33機、うち九一式航空魚雷改一装備(炸薬量170㎏)8機、50番(500㎏)通常爆弾装備17機、25番(250㎏)通常爆弾各二装備8機が発進しています。

 午後13時2分、断雲の下に戦艦2隻を含む5隻の英国艦隊を発見した元山航空隊は、第1中隊第1小隊1番機である石原大尉機がプリンス・オブ・ウェールズの左舷を目標に雷撃を敢行、第1小隊3番機と第2小隊3機がこれに続きました。
 この雷撃により、プリンス・オブ・ウェールズには2本の魚雷が命中し、初めの1本は艦尾の3番砲塔やや後方に水柱をあげ、次の1本は中央やや艦首よりの後艦橋横に約40mの水柱を立ち上げました。

 最初の艦尾近くに命中した魚雷は、左舷外側第4推進器軸の付け根附近で炸裂して第4推進器を脱落させ、その衝撃で推進軸がねじれ曲がり、回転する推進器軸の先端が隔壁を連打して破壊してしまいます。

 そして、第4推進器軸管を伝わって浸水が始まり、左舷Y戦闘用動力室、Y罐室、B機械室への浸水、Y機械室の破損へとつながり、28ノット(51.88 km/h)の高速を誇るプリンス・オブ・ウェールズも左舷の2軸が停止し、さらには、主砲、高角砲の旋回や照準、発射に必要なXおよびY戦闘用動力室2室も発電不能に陥って速力が低下、傾斜して動力不足のため操舵も十分ではなく、戦闘航海能力は半減してしまいます。

 午後13時49分、つづく鹿屋航空隊の第1中隊の4機と第2中隊の2機が右舷から雷撃し、1発目は艦首右舷に命中して右舷から左舷に通ずる大穴をあけ、2発目は艦橋真下に命中して燃料タンクを破壊し、3発目は後部3番砲塔横に命中、4発目は艦尾に命中して右舷外側第1推進器軸の付け根附近で炸裂し第1推進器軸を内側に押し曲げ、A機械室のタービンは停止してしまいます。

 これによりプリンス・オブ・ウェールズは1軸運転となり、全速8ノット(14.8 km/h)が精一杯となります。
 4つの破孔からの浸水は約1万8000トンにも及び、プリンス・オブ・ウェールズの基準排水量(Standard displacement)36,727トンの半分の量に達しています。

 このように回避運動も対空射撃もままならなくなった状態でノロノロと南下していたプリンス・オブ・ウェールズに対して、最後のとどめをさしたのは、美幌航空隊第2中隊8機の50番(500㎏)通常爆弾による高度3,000mからの水平爆撃でした。
 午後14時13分、50番(500㎏)通常爆弾が左舷後部のカタパルト甲板に命中、残っていたX罐室に火煙が吹き込んだため機関兵は罐室から退去し、遂に最後まで残っていた右舷第2推進器も停止し、完全に海上に漂泊してしまいます。

 この後、駆逐艦エクスプレス(HMS Express)は、プリンス・オブ・ウェールズに接舷し、多くの将兵を退去させます。
 その駆逐艦がプリンス・オブ・ウェールズの沈没に巻き込まれるの避けるために後進して離れると、午後14時40分、プリンス・オブ・ウェールズは左側に横倒しに転覆してしまいます。

 そしてフィリップス提督とリーチ艦長を含む数百人は艦と運命を共にしてしまいます。
 当時、フィリップス提督の最後に関して、「英国東洋艦隊司令長官フィリップス中将(当時はこう伝えられていた)は、駆逐艦から迎えのボートが来たとき、”No thank you”と云い、リーチ艦長と共に従容として艦と運命を共にした」と伝えられていますが、どうも世界を感動せしめた別離の一言は公式記録には伝えられていないようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:56Comments(0)艦船