2008年10月27日
クラシック(21)-ブラームス(5)-ドイツ・レクイエム
Martin Luther, Portrait von Lucas Cranach d.Ä., 1529
(旧暦 9月29日)
松陰忌 私塾松下村塾を叔父である長州藩士玉木文之進より引き継ぎ、武士や町民などの身分の隔てなく塾生を受け入れ、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山縣有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳など、後の明治維新の指導者となる人材を教えた、松陰吉田寅次郎の安政6年(1859)の忌日。
身ハたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833~1897)が1868年に完成させたオーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲ドイツ・レクイエム(Ein Deutsches Requiem op.45)は、これまで、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908~1989)がベルリン・フィルを指揮した64年録音盤と76年録音盤、ウィーン・フィルを指揮した83年録音盤が人気を分け合い、時代によって支持のされ方に違いがあるそうです。
このドイツ・レクイエムは、ドイツ語圏では日本人には想像もつかないくらい人気のある曲とのことで、特にカラヤンは、すざましい意欲でこの作品を繰り返し録音(映像を含めると7回)しています。
カラヤンは、1946年1月13日、ウィーン・フィルとの第二次大戦後初のコンサートを成功させ高い評価を受けますが、ソ連占領下のウィーンにおいて、戦時中ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)党員であったことを理由に、1月19日の公開演奏停止処分を受けてしまいます。
そして、同年9月17日、ついにソ連やアメリカなどの占領軍当局は、カラヤンの指揮者としての活動を全面禁止とする措置を下します。
事実、カラヤンは1933年4月8日、ザルツブルクにおいて当時オーストリアでは非合法政党だったナチスへの入党手続きをとっていました。
しかし、翌1947年にはオーストリア政府が設けた査問委員会(非ナチ化委員会)で処分保留となり、1947年10月、ヴィーナー・ジングフェライン(Wiener Singverein : ウィーン楽友協会合唱団)の終身音楽監督というポストを与えられます。
それほどに、カラヤンとウィーン楽友協会合唱団との結びつきには深いものがありました。 続きを読む