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2008年05月12日

蒸気機関車(2)-パシナ形

 

 THE "ASIA"
 The Stream-Lined Super-Express Train from Wikipedia.

 (旧暦  4月 8日)

 かつて日本が中国東北部(旧満洲)において植民地経営機関として国策遂行の一翼を担わせた南満洲鉄道株式會社(満鉄、South Manchuria Railways Co.)は、明治39年(1906)、日露戦争中の満洲軍野戦鉄道提理部を母体として資本金2億円をもって設立され、翌明治40年(1907)4月1日から営業を開始しました。
 資本金2億円の内、1億円は日本政府が出資し、他の1億円は清国政府および日清両国の民間から公募しました。配当は年6%(後に8%)であったため、その株は皇族や華族が所有するものが多かったと云います。

 日露戦争(1904~1905)後の明治38年(1905)9月に締結されたポーツマス条約(日露講和条約)には、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡するという項目(第5條)とロシアが自ら施設した東清鉄道の内、長春(寛城子)~旅順口間の南満洲支線(701.4 km、1903年1月に完成)と、付属地の炭鉱(撫順、煙台等)の租借権を日本へ譲渡する項目(第6條)も含まれていました。

 満鉄はこうした鉄道と炭坑の利権を母体として、昭和20年(1945)8月の敗戦までの約40年の間に、70の関連会社・傍系機関を擁し、敗戦時の全財産は当時の価格で26億7000万ドルにも達していたと評価されています。

 さて、昭和9年(1934)11月1日からこの南満洲鉄道の大連~新京(長春)間701.4kmに運行されたのが、特別急行列車『あじあ』でした。
 また、翌昭和10年(1935)9月1日には、さらに哈爾濱(ハルピン)までの240.2kmが延長運行されましたが、大連~新京(長春)間701.4kmを牽引したパシナ形蒸気機関車は、最高時速120km/h、大連~新京(長春)間を8時間30分で走行し、冷暖房完備等さまざまな最新設備を施した客車と共に東洋一を誇る国産列車でした。

 大連の隣駅の沙河口(さがこう)には、満鉄大連工場が大正13年(1924)に設立され、満鉄その他の汽車製造および修理を行っていましたが、パシナ形蒸気機関車の製造は、この大連工場が970号から972号までの3両を、川崎車輛株式会社兵庫工場が973号から980号までの8両と昭和11年(1936)に追加となった981号の計9両を担当しています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:26Comments(0)蒸気機関車