2008年05月04日
史記列傳(7)-孫子吳起列傳第五(2)
(旧暦 3月29日)
史記列傳(6)-孫子吳起列傳第五(1)のつづき
吳起は衛(河南省の一部)の人です。兵を用いることを好み、一時は孔子の弟子で『孝経』を著した曾子に学んだこともあり、その後、魯(山東省南部)の君に仕えていました。
齊(山東省)が魯を攻めたとき、魯は吳起を将軍にしようとしましたが、吳起は齊の人のむすめを妻としていたために、魯ではこれを疑って将軍とすることをためらっていました。
吳起はそこで名を立てようと欲して妻を殺し、齊に与しないことを明らかにしました。
魯はすぐに吳起を将軍にし、吳起は大いに齊を破って戦功を立てますが、魯の中で吳起を悪く言う者があり、ついに彼は解任されてしまいます。
そこで吳起は、魏(山西省西部から河南省北部)の文候に仕え、将軍となります。
起の將為る、士卒の最下なる者と衣食を同じくし、臥するに席を設けず、行くに騎乘せず、親(みづか)ら糧(かて)を裹(つつ)み贏(にな)ひ、士卒と勞苦を分(わか)つ。
卒に疽(しよ)を病む者有り。起為に之を吮(す)ふ。卒の母聞きて之を哭(こく)す。人曰く、「子は卒也。而るに將軍自ら其の疽(しよ)を吮(す)ふ。何ぞ哭するを為す。」と。
母曰く、「然るに非ざる也。往年、吳公、其の父を吮(す)ふ。其の父、戰ひて踵(くびす)を旋(めぐら)さず、遂に敵に死せり。吳公、今又子を吮(す)ふ。妾(せふ)、其の死所を知らず。是を以て之を哭(こく)す。」と。
吳起は将軍と為るや、士卒の最下級の者と同様の衣食をし、寝るときは寝具を用いず、行軍に際しては馬にも馬車にも乗らず、自分で兵糧を包み担いで士卒と労苦を分かち合った。
兵卒に腫れ物を患っている者があると、吳起はその者のために自ら膿を吸い出してやった。
この兵卒の母がこの事を聞いて声を上げて泣いた。 続きを読む