2007年12月10日
漢詩(20)-文天祥(5)-正氣の歌(5)
文天祥の才能を高く評価し、粘り強く帰順をすすめた
第5代世祖 フビライ・ハーン
(旧暦 11月 1日)
漢詩(19)-文天祥(4)-正氣の歌(4)のつづき
是氣所磅礴 是れ氣の 磅礴(ぼうはく:満ちふさがる)たる所
凜烈萬古存 凜烈として 萬古に存す
當其貫日月 其の日月を 貫くに當りては
生死安足論 生死も安(いずく)んぞ 論ずるに足らん
地維賴以立 地維(ちい:世界の四隅を繋ぐ大綱、秩序) 賴りて 以て立ち
天柱賴以尊 天柱(天を支える柱) 賴りて 以て尊ぶ
三綱實繋命 三綱(君臣、父子、夫婦の三つの道) 實(まこと)に 命を繋ぎ
道義爲之根 道義 之(こ)の 根と爲る
これら歴史上の事例のことは正氣の噴出するところの為せるわざでした。
これらは厳然として太古から存在し、永遠に語り伝えられて歴史に残ります。
正氣は日月さえ貫き、生死も論ずるには足りません。
天地は正氣によって維持され、君臣、父子、夫婦という人倫もこの正気に因って命脈を保ち、道義はこの正氣もって根本としています。
嗟予遘陽九 嗟(ああ) 予(われ) 陽九(亡国の災禍)に遘(あ)ひ
隸也實不力 隸(れい:わたくしめ)なる也(や) 實(まこと)に力(つと)めず
楚囚纓其冠 楚囚(捕らえられて他国にいる者) 其の冠を纓(むす)び
傳車送窮北 傳車にて 窮北に送らる
鼎鑊甘如飴 鼎鑊(ていかく:釜茹での刑) 甘きこと飴の如く
求之不可得 之を求むれど 得(う)可からず
春秋時代(770BC~403BC)、楚の鍾儀は晉に捕らえられてもなおも祖国楚の冠をかぶって、祖国を忘れないようにしていました。それ以来、異境に捕らわれた捕虜のことを楚囚と呼ぶようになりました。
南宋の亡国に遭いながら力及ばず、捕虜となって北の最果て(現在の北京あたり)に送られた文天祥にとって、釜茹での刑さえ甘んじて受けることができず、忸怩たる想いに駆られていました。 続きを読む