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2007年07月22日

やまとうた(20)-あかねさす 紫野行き標野行き

 

 蒲生野猟遊  蒲生野は近江国湖東地方、蒲生郡域平野部の古称

 (旧暦  6月 9日)

 天皇(すめらみこと)の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまふ時、額田王の作る歌

 あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る (巻1-20)

 皇太子(ひつぎのみこ)の答へましし御歌 
 明日香宮ニ御宇(あめのしたしらしめ)シシ天皇(すめらみこと)、諡シテ天武天皇トイフ

 紫のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに吾(あれ)戀ひめやも (巻1-21)

 紀ニ曰ハク、天皇七年丁卯、夏五月五日、蒲生野ニ縦猟(かり)シタマフ。時ニ大皇弟(ひつぎのみこ)諸王(おほきみたち)内臣(うちつまへつきみ)及ビ群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)ニ従(おほみとも)ソトイヘリ。


 日本書紀巻第二十九の天武天皇二年(673)二月癸未(27日)の記述に、

 『天皇(すめらみこと)初め鏡王の女(むすめ)額田姫王(ぬかたのひめみこ)を娶(めと)る。十市皇女を生む。』

 とありますが、額田王(ぬかだのおおきみ)は、はじめは大海人皇子(おおあまのみこ:後の天武天皇)に婚(みあ)い、十市皇女(とおちのひめみこ)を生みましたが、後に大海人皇子の兄である葛城皇子(かつらぎのみこ:中大兄皇子)に召されて宮中に侍していた、つまり、下々の者にはよくわかりませんが、まあ、そういう関係にあったということらしいです。

 この歌に関しては、かの斎藤茂吉先生(1882~1953)はその名著『万葉秀歌』の中で、

 この歌は、額田王が皇太子大海人皇子にむかい、対詠的にいっているので、濃やかな情緒に伴う、甘美な媚態をも感じ得るのである。(中略) 一首は平板に直線的ではなく、立体的波動的であるがために、重厚な奥深い響を持つようになった。云々・・
 
 などと、よく訳のわからない注釈を残しています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:51Comments(0)やまとうた