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2007年07月12日

おくの細道、いなかの小道(2)-室の八島

 

 葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州千住」 by Wikipedia

 (旧暦  5月28日)

 しばらくボ~~としておりましたら五月も二十八日(旧暦)になり、芭蕉翁一行は昨日は、出羽の国、立石寺の山上の堂にのぼって、「閑さや・・」などと一句詠んだことでしょう。

 さて、随行した門人曾良の「奥の細道随行記」によれば、日の出ころ深川を船で出立した一行は、「巳ノ下尅」つまり午前11時半ころ、千住大橋の北側付近で船を下りました。
 千住は日光街道第一の宿駅で、東海道品川宿、我が中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿と並んで江戸四宿の1つに数えられていました。後の元禄8年(1695)には宿場の事務を取りまとめる「問屋場」が設置され、寛保3年(1743)には公用荷物を伝馬で運ぶための重量を測り運賃を決める役所である「貫目改所」が同じ敷地内に併設されています。

 千住から陸路で出発した芭蕉翁一行は、日光街道第二の宿駅草加を過ぎて、その日は江戸から9里(約36㎞)の粕壁(春日部)に宿泊しました。
 翌廿八日、「辰上剋」(午前7時半頃)、雨が止んだので宿を出て栗橋の関所を通過し、その日は粕壁より9里の間々田(小山市)に宿泊しています。
 廿九日、「辰上剋」(午前7時半頃)間々田の宿を出て、この日は「けむり」の歌枕の名所である室の八島(栃木市惣社町)に詣でました。

 ここで随伴の曾良が云うには、室の八島の神は木の花さくや姫といって富士山本宮浅間神社の神と一躰であるとのこと。
 
 木の花さくや姫の故事は、日本書紀巻第二神代[下]に記述されています。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が下界を治めるために高天原から日向の高千穂の峰に天降りますが、そののち、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は笠沙の御崎(鹿児島県野間半島)で出会った美しい鹿葦津姫(木花之開耶姫)と結ばれます。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:44Comments(6)おくの細道、いなかの小道