2006年10月21日
歳時記(12)-秋(3)-曲江の秋
晩秋の米沢城趾「松が岬公園」
(旧暦 8月30日)
直哉忌
武者小路実篤、有島武郎、倉田百三、里見弴、柳宗悦等が所属した白樺派を代表する小説家のひとりで、『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城崎にて』などの作品を残し、推敲を尽くした無駄のない文章により「小説の神様」として大正、昭和期の多くの文学者に範とされた小説家志賀直哉の昭和46年(1971)の忌日。
滝井孝作、尾崎一雄、小林秀雄、網野菊、藤枝静男、島村利正、直井潔、阿川弘之ら錚々たる作家が師事した。
かつての唐の都長安の中心部より東南東数㎞の風光明媚なところに、曲江池という池がありました。
この池は、「隋の長安建都の時に黄渠の水を引いて池を作り、これを曲江と呼んだ」と宋代(南宋1127~1279)の趙彦衛が撰した『雲麓漫鈔』に記述してありますが、隋はこの地に「芙蓉園」を造って離宮としました。
この地には、かつて漢の武帝も「宣春下苑」という離宮を造っており、唐代になって第6代皇帝玄宗(在位712~752)の開元年間(713~741)に大規模な再開発が行われたようです。
近くには杏園、楽遊原、大慈恩寺などの名所があり、貴族達の行楽地として春や秋には賑わい、特に唐の科挙試験に及第して進士となった者は、曲江のほとりの杏園で宴を賜ったと伝えられています。
しかしこの場所も、安史の乱(756~763)の時に建築物は尽く破壊され、一部は後に修復されたようですが、これもまた唐末の戦乱で破壊されてしまいました。
現在は曲江地遺跡として石碑なども建っているようですが、池は干上がって農地に化しています。
杜甫には「曲江三章」という章五句の詩があり、この曲江のほとりの秋の様子を詠っています。
曲江三章 章五句
曲江蕭条秋氣高 曲江蕭条として 秋氣高く
菱荷枯折随風濤 菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ
游子空嗟垂二毛 游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを
白石素沙亦相蕩 白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す
哀鴻独叫求其曹 哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)
を求む
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