2006年08月09日
外つ国の旅(1)−中国(1)−八達嶺(1)
八達嶺「女坂」望楼より東西城楼および「男坂」を望む
(旧暦 7月16日)
太祇忌(不夜庵忌) 諸国を行脚した後出家し、京都大徳寺真珠庵に住まいを定めたが、その後京都九条朱雀野の通称島原遊郭に不夜庵と名付け定住した俳諧師炭太祇(不夜庵)の明和8年(1771)の忌日。安永、天明期に活躍し、与謝蕪村とも親交した。
うつす手に 光る蛍や指のまた
毎日暑い日が続きますが、大変ご無沙汰でございます。
なんせ、しばらく黄砂吹き荒れる大陸の方に往っていたもんで。
なんちゃって!
実は私「嘉穂のフーケモン」は、板橋村と姉妹都市交流をしている中華人民共和国北京市石景山区への交流使節団の末席随員として、2008年のオリンピックの成功へ向けて建設の槌音かまびすしい北京市を訪問してきましたとです。
まあ、公式行事はさておき(歓迎宴での乾杯の連続で疲れましたもんで)、かねてから一度は行ってみたいと思っておりました万里の長城を見学できましたことは、大変に良かったと思っておりますです。
北京近郊での長城(The Great Walll)見学と云えば6ヶ所の有名スポットがあるそうですが、私「嘉穂のフーケモン」は7月の暑い最中、ご苦労さんにも北京北西80㎞にある最も代表的で見学客が多い八達嶺長城を見学してきました。
八達嶺長城は明代に建設され、首都北京を防衛するために特に堅牢に作られていたようですが、それでも一般に公開されているところは大規模な修復が行われているそうです。
東西の城楼は、明代の弘治十八年(1505)に建造され、東門には「居庸外鎮」、西門には「北門鎖鑰」と字が彫られています。また、この長城は、1987年に世界文化遺産に登録されています。
北京でのガイドの黄さんの説明では、城楼の北側の階段のある長城を「女坂」、南側の険しい長城を「男坂」と呼んでいるそうですが、現地にはそのような案内はなく、愛宕神社や湯島天神ではあるまいし、何が「女坂」、「男坂」だと思っておりました。 続きを読む