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2006年04月20日

漢詩(12)−白居易(1)−琵琶行(1)

 

 白楽天『晩笑堂竹荘畫傳』より

 (旧暦  3月23日)

 百閒(けん)忌 小説家、随筆家の内田百閒の昭和46年(1971)の忌日。旧制第六高等学校(岡山)で俳句に親しみ、ふるさとの岡山市東部にある百閒川に因んで、百閒の号を用いたとされている。本名は、内田栄造。


 琵琶行 並びに序

 元和十年、予は九江郡の司馬に左遷せらる。明年秋、客を湓浦口(ぼんぽこう)
に送る。舟船中に夜、琵琶を彈ずる者あるを聞く。

 其の音を聽くに、錚錚(そうそう)然として京都(けいと)の聲有り。其の人を問ふに、本(もと)長安の倡女にして、嘗て琵琶を穆と曹との二善才に學べり。年長(た)けて色衰へ、身を委(まか)せて賈人(こじん)の婦(つま)と爲る。

 遂に酒を命じて、快(こころよ)く數曲を彈か使む。曲罷(おは)りて、憫默(びんもく)せり。
 自ら敍(の)ぶ、少小の時、歡樂の事を。今、漂淪(ひょうりん)憔悴(しょうすい)し、江湖の間に轉徙(てんし)するを。

 予、出でて官すること二年、恬然(てんぜん)として自ら安んぜしも、斯(こ)の人の言に感じ、是の夕(ゆう)べ始めて遷謫(せんたく)の意有るを覺ゆ。

 因(より)て長句の歌を爲し、以て之に贈る。凡(およ)そ六百一十二言、命(な)づけて琵琶行と曰ふ。



 唐の第11代憲宗(在位805〜820)の元和10年(815)6月3日の未明、宰相武元衡(758〜815)が出勤の途上、河南平盧節度使李師道(?〜819)が放った刺客によって暗殺されるという事件が起こりました。

 宰相武元衡は、第11代憲宗(在位805〜820)が行った藩鎮権力を抑制するための税制改革に反発して叛乱を起こした河南淮西節度使呉元斉(?〜817)を討伐するために準備を整えていたところでした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:46Comments(0)漢詩