2006年01月29日
陶磁器(7)−木葉天目碗(南宋/吉州窯)
木葉天目碗 南宋吉州窯 口径14.7cm
(旧暦 1月 1日)
草城忌 都会的でモダンな新しい素材を積極的に導入した近代俳句のさきがけとして、また、昭和初期、俳句誌『旗艦』を主宰して旧態打破、無季容認という態度を明確にした新興俳句運動の一翼を担い、戦後は、病床から生み出された、命を慈しみ、温かで穏やかな俳句によって広く知られた俳人日野草城の昭和31年(1956)の忌日。
物の種 にぎればいのちひしめける
をさなごの ひとさしゆびにかかる虹
中国宋代(960〜1279)の五大名窯とされているのは、1.汝窯(河南省宝豊県)、2.定窯(河北省曲陽県)、3.南宋官窯(浙江省杭州市)、4.哥窯(浙江省龍泉県)、5.鈞窯(河南省禹県)ですが、南宋(1127〜1279)〜元(1271〜1368)代に天目茶碗の製造で発展した産地に福建省建陽県水吉鎮の建窯と双璧をなす江西省吉安県永和鎮の吉州窯があります。
天目というのは浙江省杭州西方、浙江省と安徽省の間に広がる海抜1400m程度の山群の総称である天目山という山の名前に由来し、南宋末期(鎌倉前期)のころにこの山中にある臨済宗の名刹では福建省建陽県水吉鎮の建窯で焼かれた茶碗を抹茶に用い、建盞 (けんさん:盞は碗・椀の意)と呼んでいました。
この茶碗を留学僧たちが日本に持ち帰り、その後日本では天目茶碗とよんで尊んできたと云われています。
鉄分を多く含む黒色、褐色の荒い胎土に漆黒の釉薬が厚くかかっているのが特徴で、焼成時の釉表面の結晶の出方によって、兎毫[とごう、禾目(のぎめ)とも云う]、油滴、曜変などの変化を見せます。 続きを読む