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2006年01月22日

歌舞伎(3)−三人吉三廓初買

 

 安政七年正月十四日(1860年2月5日)江戸市村座初日の『三人吉三廓初買』の序幕「大川端庚申塚の場」。左から四代目市川小團次の和尚吉三、三代目岩井粂三郎のお嬢吉三、初代河原崎権十郎のお坊吉三。

 (旧暦 12月23日)

 默阿彌忌  歌舞伎作者河竹默阿彌の明治26年(1893)の忌日。

 月も朧に白魚の 篝(かがり)も霞む春の空
 つめてぇ風もほろ酔いに 心持ちよくうかうかと
 浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
 棹(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟 思いがけなく手に入る百両
 ほんに今夜は節分か
 西の海より川のなか 落ちた夜鷹は厄落とし
 豆沢山で一文の 銭と違って金包み
 こいつぁ春から縁起がいいわぇ


 『三人吉三廓初買』、「大川端の場」でのお嬢吉三(きちざ)のせりふ

 河竹黙阿弥(1816〜1893)作による、日本駄右衛門、弁天小僧菊之介、南郷力丸、忠信利平、赤星十三郎の白浪五人男で有名な『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』やお嬢吉三、お坊吉三、和尚吉三の三人吉三の盗賊物語である『三人吉三廓初買(さんにんきちざくるわのはつがい)』でよく知られている白浪物は、盗賊を主人公とした歌舞伎狂言ですが、なぜ盗賊が白波(歌舞伎では白浪)と呼ばれるのかは、後漢書の孝靈帝紀第八や孝獻帝紀第九に由来するようです。

 後漢書−本紀−卷八 孝靈帝紀第八- 355 -
 黄巾餘賊郭太等、西河白波谷に於いて起こり、太原、河東を寇す。


 後漢書−本紀−卷九 孝獻帝紀第九- 368 -
 白波賊、河東を寇し、董卓、其の將牛輔を遣はして之を擊たしむる。
 薛瑩書に曰く、「黄巾郭泰等が西河白波谷に於いて起こり、時に之を白波賊と謂ふ」
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:37Comments(0)歌舞伎