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2006年01月08日

となり村名所あんない(24)−台東村(2)−黒門

 

 旧因州鳥取藩池田屋敷表門

 (旧暦 12月 9日)

 「赤門」といえば東京大学のシンボルですが、「黒門」といえば東叡山寛永寺の「黒門」の方が一般的に知られているようです。
 明治元年(1868)5月15日、旧幕臣の渋沢成一郎や天野八郎らにより結成された彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた上野戦争で黒門口(広小路周辺)が激戦となり、この「黒門」は焼失は免れましたが弾丸の跡がたくさん残り、今でも荒川村の南千住1-59-11の円通寺に保存されています。

 ちなみにこの円通寺との関係は、上野の戦場に散乱放置されていた賊軍の彰義隊の遺体を、当時の和尚が処罰覚悟で供養し、その後埋葬の許可が下りたことから遺骸266体をこの寺に埋葬したことに依るそうです。

 さて、こちらの「黒門」、正式名称は「旧因州池田屋敷表門」と言い、因幡・伯耆32万石の旧鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門でした。
 もともとは、旧丸の内大名小路(丸の内3丁目、日比谷濠に面した東京會舘)の辺りにありましたが、明治になって当時の東宮御所(いまの高輪の高松宮邸)の正門として移築され、昭和28年(1953)に上野恩賜公園の東京国立博物館構内に移築・保存され現在に至っています。

 国立科学博物館から芸大の方向に向かって歩いていくと、博物館に面した道路沿いからもその重厚で立派な門を見ることができます。堂々とした風格から、通称「上野の黒門」と呼ばれているそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:17Comments(0)となり村名所あんない