2006年01月04日
書(13)−王羲之(2)−蘭亭序(2)
蘭亭八柱第三 馮承素模蘭亭序卷 神龍本(2) 唐代馮承素の臨摸
(旧暦 12月 5日)
2005年11月22日 書(12)−王羲之(1)−蘭亭序(1)のつづき
『太平廣記』卷第二百八 書三
貞觀二十三年、聖躬(せいきゅう)不豫(ふよ)し、玉華宮含風殿に幸す。崩に臨み、高宗に謂ひて曰く、「吾は汝(なんじ)從(よ)り一物を求むるを欲す、汝は誠孝なり、豈(あに)吾が心に違(たが)ふこと能(あた)ふ耶(や)」
高宗、哽咽(こうえつ)流涕し、耳を引きて制命を聽受す。
太宗曰く、「吾れの欲する所は蘭亭を得、我れと將(まさ)に去る可し」と。
後に仙駕に随い玄宮に入りたる矣(かな)。今趙模等の榻(とう)する所ある者は、一本なお錢數萬に直(あたい)すと。(出《法書要録》)
『太平廣記』卷第二百八「書三」には次のような記述があります。
唐朝第2代皇帝太宗(598〜649)は、貞観19年(645)に高麗への遠征の帰路に発病した癰(悪性のできもの)が完治せず、貞観23年(649)、病を発して都長安から北方約150kmほどの玉華山中の離宮(陝西省銅川市北方約45km)玉華宮の含風殿に居を移し、瀕死の床に伏していました。
太宗は皇太子(第3代皇帝高宗)を枕元に呼び、次のように云いました。
「私はお前から一つの物が欲しい。お前はまごころから親孝行であるし、私の思いに違うことは無いと思うがどうか?」
皇太子はむせび泣いて涙を流し、耳を寄せて父の言葉を聞きました。
太宗は、「私が欲しい物は『蘭亭叙』である。私と共に葬って欲しい」と云ったのです。
遂に書聖「王羲之」の稀代の名書『蘭亭叙』は、太宗の陵墓「昭陵」に仙駕(棺)と共に埋葬され、この世から姿を消してしまいました。
もし今、趙模(書き写しの名人)などの模写を石に刻んでそれを紙に写した榻本(拓本)を所持していれば、一紙数万錢に値していたと。 続きを読む