2005年10月04日
詩歌(5)−雪の夜
北大農場より恵迪寮を望む
(旧暦 9月 2日)
素十忌 俳人高野素十の昭和51年(1976)年の忌日
秋風や くわらんと鳴りし幡の鈴
人はのぞみを喪(うしな)っても生きつづけてゆくのだ。
見えない地図のどこかに
あるいはまた遠い歳月のかなたに
ほの紅い蕾(つぼみ)を夢想して
凍てつく風の中に手をさしのべている。
手は泥にまみれ
頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
冬の草のように生きているのだ。
遠い残雪のような希みよ、光ってあれ。
たとえそれが何の光であろうとも
虚無の人をみちびく力とはなるであろう。
同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
寂寥とそして精神の自由のみ
俺が人間であったことを思い出させてくれるのだ。
『きけわだつみのこえ』 田辺利宏 「雪の夜」より
高校時代の倫理・社会の先生が、この詩を教えてくれました。
その先生は、私「嘉穂のフーケモン」の年の離れた従兄弟と旧制中学の同級生で、先生は旧制の第七高等学校造士館へ、従兄弟は第五高等学校に進んだとのことでした。
先生は大学を卒業して、旧大蔵省の役人をしていたそうですが、ある時、台風の最中に老朽化した校舎を倒壊させようと、校長以下地域の人達が校舎に綱を掛けて引っ張っているのを目撃し、憤慨して大蔵省を辞職したと聞いたような記憶があります。
辞めた理由は他にも色々あったのでしょうが、旧制高校のロマン派の生き残りのような人(バンカラ派ではありません)で、能く授業を脱線して、文学や哲学を語ってくれました。 続きを読む