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2005年09月24日

北東アジア(20)−九一八事変(2)

 

 満州事変要図

 (旧暦  8月21日) 
 
 言水忌 俳人池西言水の享保7年(1722)の忌日
 南洲忌 南州西郷隆盛先生が明治10年(1877)鹿児島の城山で自決された忌日

 北東アジア(19)−九一八事変(1)のつづき

 満蒙という呼び方は日本のみの俗称で、その地域は満洲いわゆる中国の東三省である奉天省【民国17年(1928)遼寧省に改称】、吉林省、黒竜江省と満内蒙古と呼ばれる熱河省を含めた広大な地域でした。

 昭和6年(1931)1月の第59帝国議会の衆議院本会議において、野党政友会の新人代議士松岡洋右の代表質問によって発せられた「生命線」という造語は、同年9月18日に関東軍の謀略により惹起された柳条湖事件(関東軍の満鉄線爆破とともに発動された軍事行動)とその後の全満洲へと拡大された軍事行動によって、当時の国民の注目が満洲に集まったこと、および大阪毎日新聞および東京日日新聞が同年10月27日付けで行った4ページ全面特集の「守れ満蒙−帝国の生命線」という一大キャンペーンによって広く国民に喧伝されました。

 また、柳条湖事件の真相は国民には秘匿され、中国軍(東北軍第20師第7旅)の満鉄線爆破と日本軍(独立守備歩兵第2大隊第3中隊)への攻撃によって引き起こされたという虚構が宣伝されたため、国民の大半は正義の自衛戦争と熱狂しました。

 特に当時の新聞は、関東軍の虚偽の発表を国民に真実であると思いこませる役割を果たしました。そして事変の拡大を正当化して軍の奮戦勝利を称賛し、中国への侮蔑と憎悪を助長させ、国際連盟を非難する記事を掲載しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:34Comments(0)歴史/北東アジア