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2005年09月21日

北東アジア(19)−九一八事変(1)

 

 事件直後の柳条湖爆破現場

 (旧暦  8月18日)
 
 宮澤賢治忌  童話作家、詩人宮澤賢治の昭和8年(1933)の忌日
 廣津和郎忌  小説家、社会評論家廣津和郎の昭和43年(1968)の忌日
 宇野浩二忌  小説家宇野浩二の昭和36年(1961)の忌日

 中国における抗日戦争の発端となった「九一八事変」(満洲事変)から74年がたちましたが、事変勃発15年後の昭和21年(1946)5月3日から東京市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂で審理が開始された極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)により、当時の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐(1885〜1948)や関東軍作戦主任参謀石原完爾中佐(1889〜1949)等を中心とする関東軍首脳部の謀略により、武力発動が計画されたことが明らかになりました。

 

 関東軍高級参謀板垣征四郎大佐(1885〜1948)

 

 関東軍作戦主任参謀石原完爾中佐(1889〜1949)

 しかし、この極東国際軍事裁判(東京裁判)にしても事件の正確な全容は解明できず、石原中佐等の謀略と事件の実際の経過が明らかになったのは、当時奉天特務機関員であった花谷正少佐が昭和31年(1956)に「満洲事変はこうして計画された」(http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/thisei_0.htm)という回想を雑誌(「別冊 知性」 昭和30年12月号 河出書房)に発表してからのことであったと云うことです。

 

 日露戦争の勝利によりロシアから譲渡された関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権及びロシアが自ら施設した東清鉄道の内、旅順−長春間の南満州支線(772?、1903年1月に完成)と付属地の炭鉱の租借権こそが、その後の日本の運命を大きく左右することになろうとは、日本全権小村寿太郎も伊藤博文をはじめとする当時の指導者達も想像すら及ばなかったことでしょう。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:06Comments(0)歴史/北東アジア