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2005年09月06日

物語(3)−西行物語(1)

 

 西行法師 フェリス女学院大学蔵『新三十六歌仙画帖』

 (旧暦  8月 3日)

 実子為相(ためすけ)と異母兄為氏(ためうじ)との間の遺産相続問題により惹起した播磨国細川庄の所領紛争の訴訟のため、弘安2年(1279)鎌倉に下向した藤原為家の側室阿仏尼(?〜1283)は、京から鎌倉までの道中紀行および鎌倉滞在中の出来事を日記にして残しました。

 当初は、この日記に名前が付いていなかったため、『阿仏日記』などと呼ばれていたようですが、日記が10月16日に始まっていることにより、後世の人が『十六夜日記』と名付けました。

 この『十六夜日記』の10月23日の天龍川の渡し場の箇所に以下の記述があります。

 廿三日、天りうのわたりといふ。舟にのるに、西行がむかしもおもひいでられていと心ぼそし。くみあはせたる舟たゞひとつにて、おほくの人のゆきゝに、さしかへるひまもなし。
 水のあわの うき世にわたる ほどを見よ はや瀬の小舟 竿もやすめず
こよひは、とをつあふみ見つけのこふといふ所にとゞまる。里あれて物おそろし。傍に水の井あり。
 たれか來て みつけの里と 聞くからに いとゞたびねの 空おそろしき


 「西行法師の昔の出来事が思い出されて、非常に心細い」と阿仏尼に言わしめた西行の昔の出来事とは、これより135年前の天養元年(1144)、約百数十年も前の歌人能因法師(988〜?)の道筋をたどって歌枕探訪の修行をするため、みちのくへの第1回目の旅に出た西行(1118〜1190)が、遠江国天中川(天龍川)の渡し船で、船頭からさんざんに鞭打たれる場面が、『西行物語』に語られているからです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:08Comments(0)物語