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2005年05月05日

北東アジア(12)−五・四運動(3)

 

 1910年の東アジア勢力図

 (旧暦  3月27日)

 五・四運動(2)のつづき

 大正6年(1917)2月、アメリカ合衆国が世界大戦に参戦しましたが、駐華公使ラインシュを通じて中国も共同の行動をとるように働きかけ、中国もドイツと国交を断絶して参戦しました。

 世界大戦は、大正7年(1918)11月にキール軍港での水兵の反乱をきっかけに、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位し、オーストリアも降伏して、11月11日に第一次世界大戦は休戦します。

 大正8年(1919)1月、パリのベルサイユ宮殿で講和会議が始まりましたが、中国政府が要求した二十一ヵ条(実際には13ヵ条と3交換公文)の取り消し、外国軍隊及び警察の撤退、関税自主権獲得等の諸要求は却下され、議題に持ち出されさえしませんでした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:35Comments(0)歴史/北東アジア