2005年02月09日
パイポの煙(11)-水戸学(1)
藤田小四郎自讃画
(旧暦 1月 1日)
旧正月
「水戸っぽ」といえば、反骨精神の持ち主、闘志あふれた気骨の激しさを真骨頂とした頑固者といったイメージがあり、私「嘉穂のフーケモン」の周りでも時折、如何にも「水戸っぽ」らしい人に遭遇しますが、これは水戸の精神風土のなせるわざなのでしょうか。
断髪蓬髪如夜叉 不言可識是藤田
「断髪(だんぱつ)蓬髪(ほうはつ)夜叉の如し。言わずして識るべし是藤田」との自讃画を残した藤田小四郎(1842〜1865)も、血気盛んな若者とはいえ、典型的な「水戸っぽ」の1人だったのでしょう。
水戸学を築き上げた藤田東湖(1806〜1855)の第4子である小四郎は、元治元年(1864)3月、若干22歳ながら首謀者として、筑波山にこもって「尊王攘夷」の旗を上げました。
有名な「水戸天狗党の乱」と呼ばれていますが、その後、各地を転戦しながら京都へ向かい、越前新保村(現敦賀市内)で加賀藩の軍勢に下り、翌慶応元年(1865)2月、最後は幕府の冷酷な判決により、藤田以下352名が斬首、遠島137名、追放187名といった残酷な終焉を迎えました。 続きを読む