2005年02月06日
板橋村あれこれ(6)-中山道(1)
木曾街道 板橋之驛 渓斎英泉筆
(旧暦 12月28日)
句仏忌
中山道は、板橋を起宿として、武蔵・上野・信濃・美濃の諸国を通過し、近江の国・守山から東海道の草津につながる街道で、その間、129里10町8間、67宿が設けられていました。
中山道は、「中仙道」とも書かれましたが、幕府は享保元年(1716)、公式に「中山道」と記すことを命じています。
東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道は、幕府の公用旅行者や御用荷物、大名の参勤交代が優先し、その利便を考えた施設が設けられていました。
中でも、中山道は、大名の参勤交代のほか日光例幣使などが通行し、山間部の多い道ではありますが、東海道に比べ川止めがないのが利点とされ、女性は中山道を利用することが多かったといわれています。 続きを読む