2005年01月14日
となり村名所あんない(9)-港村(3)-高松宮邸
厳重警戒の高松宮邸
(旧暦 12月 5日)
帝都で一番勾配の急な坂といわれ、都電もあえぎあえぎ上った魚藍坂を駆け上がり、二本榎通りを右折して200mほど行くと、右手に高松宮邸があります。
周囲を高い塀に囲まれたこの一角は、江戸時代には肥後熊本藩54万石細川越中守の中屋敷がありました。
高松宮宣仁(のぶひと)親王(1905〜1987)は、大正天皇(当時は皇太子嘉仁親王)の第3皇子として、青山御所(現在の迎賓館/旧東宮御所)で誕生し、幼称を光宮(てるのみや)といいました。
もともと高松宮家は、鎌倉時代の高松宮直久親王(1203〜1249)を祖とし、江戸時代初期と後期に2度の断絶を経て長らく途絶えていました。
しかし、大正2年(1913)、明治維新以来3代に渡って貢献してきた有栖川宮家の当主威仁(たけひと)親王が後継を持たぬまま危篤となり、また皇族の養子が禁ぜられたこともあって、大正天皇が特旨をもって宣仁(のぶひと)親王に高松宮を与え、高松宮家を再興して有栖川宮家の祭祀を受け継がせました。 続きを読む